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mIKEの紅葉オフ記 1
(14) 95/11/03 10:06

□□ 10月

 山が見えてきた。ところどころパッチワークで模様をつけたように色づいて来ている。谷間からははるか遠くの山並みが見渡せる。ぽっかりとわた飴のような雲がのんびり浮かんでいる。空は高度を増すに従って青くなっていくようだ。ぼくはこの時期の景色の色が一番すきだ。陽の光が透き通っていて、すべてのものの輪郭がくっきりと映るような気がする。
「見てみな、ほら、きれいだぞ」
「うぅん」
「このぶんならキャンプ場でも紅葉がきれいだぞ、よかったな」
「もぉ、だめ、おとーさん、気持ち悪い、吐きそう」
路肩に車を寄せた。
 今日のキャンプは父子キャンプである。といっても、おかーさんのいないキャンプは初めてなのである。息子達がそれでも嫌と言わずついてきて少しほっとしていたのだが、はたして子供の世話をしながら、今日のオフのために用意してきた芋煮をうまくつくっていられるだろうか。

 国道151号線を北上し豊根村から売木村にさしかかる峠は、まさに紅葉が真っ盛りだった。陽の光がそれぞれの木の葉の色を一層際だたせていた。先週通った時はこんなになっていなかった。所々にぽつぽつと気の早いやつが葉を赤く染めているだけだったのだ。二日程前に降った雨で冷え込んだためなのだろうか。
 阿南町を過ぎると曲がりくねった道を和知野に向かって一気に駆け下りていく。高度差が激しいため、高層ビルの高速エレベーターに乗ったときのように鼓膜に圧がかかる。
 151号を右に入ると狭い林道である。右手の急峻な山からは石ころが落ちて来ており、頭上には木々が覆いかぶさってきている。くねくねと曲がる道をすすむと視界が開け、目指すキャンプ場に着いた。和知野二瀬キャンプ場である。今日から紅葉を見ながら秋の旬を味わおうという紅葉オフが開催されるのだ。


□□ 

 入り口にさしかかるとすでにタープを張り終え、家財道具一式をずらりと並べているライダーさんの姿が見えた。クラクションを小さくならすと気付いたらしく、手を振って応えてくれた。隣にはあいかわらずまるまるにこにこ顔のライダーママがいた。ユータローはいるのかなと見ると、
「ミィーケさぁーん」
という聞き慣れた声がする。隣にも少年が一人いて不思議そうにこちらを見ている。

「あっ、mIKEさんですか、中村です、はじめまして」
といって、中村さんがやってきた。
 でかい。シルエットがだれかに似ている。これはあのひとだ。最近はすっかり牙をぬかれてタレント業にせいだしている、金網爆裂デスマッチ90分一本勝負、男はいつも真剣勝負の元レスラーだ。ヘアースタイルだって雰囲気でてるし、後で判った事だが飲みっぷりだって尋常じゃない。でも彼の場合はいすを投げたり、ものを壊したりしないし、酒を口に含んで吹き出して、観客にひとさし指をびしっと向けて悦にいったりしない。駄洒落を飛ばしてでかい声で笑うだけだ。
「mIKEさん、ほれほれ、これをmIKEさんに飲まそうと思って、持ってきましたよ」
といって、中村さんが目尻にいっぱいしわをよせて笑いながら、南吉と書かれた白い化粧箱を見せてくれた。
「これはね、童話作家の新美南吉にちなんだお酒なんですよ。アウトドーア日記家のmIKEさんにうってつけだと思って」
 最初はなんのことだか判らなかったのだが、どーわ作家とドーア日記家の駄洒落で、ぼくのことを精一杯持ち上げてくれたのだ。こころやさしい人なのである。

 と見ると青いウィンドブレーカーを着たまるいささんがいた。
「やっ、どうも、今日はひとり?」
「そう、最近はねえいつも」
「ところで、テントどこに張る?」
 今日は第4土曜日とあって、すでにキャンプ場内は多くのキャンパーで大にぎわいである。せいぜい、いたとしても2、3組だろうとたかをくくっていたのに大間違いであった。
 ライダーさんはキャンプ場の入り口入って右手の炊事場の前にメインタープを張っている。そのタープに並ぶように屋根付きの焚き火場がある。コンクリートの床面に二ヶ所の囲炉裏とでもいうべき四角い穴が掘ってあるのだ。
 タープをはさんで屋根付き囲炉裏の反対側に少しスペースがあるがこちらは宴会場スペースとして確保しなければならない。さらにその先は崖でその下は河原である。と考えると場所が限定されるのである。
「やっぱり、あそこしかないねぇ、あれぇ?」
あそこしかないねえ、とはなしていた場所に目をやるとすでにライダーさんが、しっかり空きスペースにシートを敷き、今やテント建設の自己主張を近隣の人々にアピールしているところであったのだ。
「さっすがライダーさん、やることが早いでいかんわ」
「ぼくらもぼちぼちやりますか」

 子供達は中村さんの張ったハンモックで遊んでいる。まだなんとなくうちの子供達は仲間に入っていけないみたいである。
 こどもの事はとりあえず放っておくことにして、荷物をおろすことにした。今日は釜とかまどを持ってきている。薪が2足に炭が24キロ。これだけで結構なボリュームである。それにいつも通りテーブルが3脚にテントとタープ、いす、食料と食器用のコンテナケースが2箱、ランタンとバーナー、子供の着替えにシュラフが3つ、ああもうこれだけをしまい込むのだって大変だったのに、また取り出すのも難儀なことだ。いつもはおかーさんが半分やってくれているのになあ、かーちゃんなんで今日はこなかったんだよぉ。

 全ての荷物をおろしたころ、2台の車がやってきた。加門、MOTO両ファミリーの登場である。
「おーっ、やーっとるねえ、さっすがライダーさんのモノはひかっとるよ」
と加門氏は細身の体を左右にゆすりながら歩いてきた。

 加門氏とMOTO氏はまことに息のあったコンビである。ライダー氏のテントの隣にお揃いのドームを建築しはじめた。ブルーの色目が鮮やかでテントウムシがじっと動かずに考え事をしているような形をしている。
 おやっ、そのまた隣にまたまた青いテントウムシがでてきました。すこし小降りではあるがこれも同型のドームである。まるいさ氏所有のソロ用テントだった。両親に見守られる子供テントウムシのおもむきである。その隣では中村氏が体にあわせたようなでかサイズのドームを建築している。こちらはモスグリーンとグレーの輝きである。ぼくは前室付きの豪華ライダー邸と小ぶりまるいさ邸の前にそっと遠慮がちに屋敷をかまえることにした。しかし、主人の意に反してライトグリーンのフライシートはそれでもやけに目立ってしまい、やたら付近を威圧している。3人でつかうだけだったらやっぱりこいつは少しでかいなあ。
 近辺はまさにドームテントのモデルハウス然としてきたのであった。


□□

 中村氏のところのラジコンを貸してもらって遊んでいた我が息子達が、お腹がすいたよう、と言ってきた。いかん、もう12時をとっくに過ぎているのに、食事の事なんかまるで忘れていた。こうなると思って昼食はカップラーメンで済ますことにしていた。手抜きといわれようが、児童虐待といわれようが、ご批判は甘んじて受けましょう。きょうはかーちゃんおらんのよ。いつもはちゃんとつくってます。お昼っから手巻き寿司だってやっちゃうんです。でも、きょうだけは見逃してくだせえ。だんな。おねげえだ。
 ライダーママにお湯を頼み、中村氏の奥様が愛情込めてつくって持たせてくれたというシチューをいただこうと、こどもをいすに座らせた.


 ゴンパパ、ゴンママのお二人も到着した模様である。特徴あるさわやか名古屋弁が聞こえてくる。ゴンタもいる。
「おうっ、ゴンタ元気か」
と声をかけたら、ゴンタは鼻をすこしならした。
「mIKEさん、サングラスしてるからだれかとおもっちゃった、わからないよ」
 ぼくはふつうの時はたいていサングラスをしている。目がでっかいから普通の人より紫外線に弱いのだ。ゴンパパファミリーはものの一時間もいないで疾風のように去っていった。

 ぼくは、とにかく一応すべてのセッティングを終えてしまいたかった。でも、そろそろ息が上がってきた。喉が飲み物を欲しがっている。まてまてもうちょいだ。おお、ああ、なんてことだ。まるいさ、中村両巨頭が又火鉢じゃなくて、又七輪のかっこうで中村氏手製の重量級鉄板をかざし、とんちゃん焼きを始めているじゃないか。ちょっとまってよお。なんでそんなおいしいものを二人占めしちゃうの。ぼくもなかまに入れてよ。

 とんちゃん焼きをご存じでない人に少し解説をしておこう。これは豚の臓物、詳しくいえば小腸大腸の部分を良く洗い、さらに幾度か湯通しをしてアクと油を抜いたものを5センチ程度に切りそろえ、そして三河の名物八丁味噌を、場合によっては赤味噌をからませて、酒、みりん、とうがらし等秘伝の調味料で味を調え、炭火で焼いていただく、子供もおとなも大満足の高級料理なのである。
 えっ?そこのあなた、なんとおっしゃいました?なんだホルモン焼きのこっちゃねえか、こてっちゃんともいうわい、ですって?違います。これはとんちゃんなの。とんちゃんったらとんちゃんなの。読むときもアクセントに気をつけてくださいよ。
「と」にアクセントをつけて、そのあと下げ調子で、ちょうど、とーちゃん、というような感じで読んではいかんのです。「と」と「ち」に平等にアクセントをおいて読んで下さいね。はい、どうぞ。とん、ちゃん。ちん、とん、ちゃん。

                                 つづく



mIKEの紅葉オフ記 2
(14) 95/11/03 10:22

 中村氏手製の鉄板は、よく道路工事なんかをしている場所に敷いてあるあの鉄板を縦70センチ横40センチ程度に切り取り、さらに四隅を建築に用いる鉄の丸棒を溶接してへりにしている。取っ手もついているのである。中村氏のイメージと工事現場のイメージが微妙にマッチして、ぼくはしばしランニングシャツに黄色いヘルメット、つるはしと一輪車に地下足袋姿で、仁王立ちしている中村氏を彷彿としていたのである。
 さて、まずはビールである。鍋の季節のなんたらかんたら、という長ったらしい名前の製品である。とにかく飲む!・・ぅぅううううまい。とんちゃんもじゅーじゅーと良い香りを出している。ひとついただく。味噌の焦げた香ばしさと臓物の脂が程良く調和し、絶妙のハーモニーを醸し出している作品です。

 加門家とMOTO家は合同でなにやら始めている。自家製のソーセージ作りを開始したのだ。挽肉に10種類位のペッパーを加え塩を入れすぎず味付けする。何種類くらい入ってんですか、と加門氏に聞いたら、
「うーん、ブラックペッパー、えーっ、ホワイトペッパー、それから、えーとえーと、忘れた」
 ソーセージは細かいことを考えずにつくるモノなのである。しかしなにやら苦労しているようである。腸詰めにする腸の塩漬けの伸びが悪いようだ。即座に加門氏のアイデアが炸裂する。
「おっけーおっけー、ラップにつつんでそのままボイルして、まるいささんのスモーカーで燻製にしちゃおう」
 加門氏の頭の中は常にメリーゴーランドみたいにアイデアが回転している。残り物やこういったトラブルで暗礁に乗り上げた瞬間に、次の料理が浮かぶのである。まさにこれは料理の天才にふさわしい。
「でも、欠点はですねえ、絶対におんなじ料理ができないことなんですよ、はあははは」
と中村氏がこの料理の天才の唯一の弱点をするどく指摘した。
「レパートリーが多すぎて、おんなじものつくってるひまがないの」
天才も負けない。


□□

 さて、いよいよ芋煮の作成に取りかからねばならない。まずはかまどに火を入れるところからだ。屋根付き囲炉裏場の焚き火穴にかまどをセットする。そして薪を入れ新聞紙を堅く絞って放り込む。点火する。白い煙がもうもうと上がるが火が点かない。
「mIKEさん、もっと新聞紙は堅くしぼらないとだめだよ」
と中村氏がすかさずセットし直す。
「これこれこれを入れないと」
と言って、加門氏がオガライトをバーナーで焼いて持ってきた。オガライトというのは、おがくずを固めて棒状にしたもので、すがたかたちは大型の芯無し鉛筆みたいなものである。しかしながら火力、火持ちともに優れた威力を発揮する。現代のアウトドアの必需品である、との加門氏の評価である。
「昔はこれで風呂を炊いておったの、でも田舎だとこんなオガライトなんて使っている家は無かったからハイソサエティのステータスだったんだわ」
加門氏の弁である。
 数々のノウハウによって我がかまどはついにごうごうと赤い炎を巻き上げだした。釜に水を入れ、火にかけた。

 その時、モスグリーンのラルゴが登場してきた。言わずと知れたむつごろう氏である。おーい、むつさーん、もうやってるよぉ。
「mIKEさーん、これ買ってきたよー」
と、むつ氏は白い化粧紙に包まれた一升瓶を高々とかかげた。
 早速、むつ氏の荷物も車から降ろし、こちらは山梨名物ほうとうの制作準備に入る。ぼくの持ってきたかまどと同型のかまど一式をライダー氏が並べてセットした。
勇壮なツイン釜のお目見えである。ぼくのほうの釜ではすでにお湯が沸き始めた。釜の底から熱い固まりがしゅうしゅうと盛り上がってきている。かまどの中は放り込んだ炭がピンク色に輝いており、こちらの準備は完了だ。

 次に具の調整である。まずは里芋の皮むきである。里芋の皮はケチらずごっそりと剥いていかねばならないのだが、これがなかなかできない。つい身を多く残すべく薄く薄く剥こうとしてしまう。日頃の日常生活習慣がつい出てしまうのが悲しい。
 ライダー家は家族全員総出で作業している。MOTO家も加わってきた。コンニャクちぎりは子供もまじえて行った。加門ママも加わって一気に材料の下準備は終わった。時間は午後2時近くになっている。あとは残りのコンニャクが到着するのを待つだけである。
 芋煮というのは、どうやら保存の難しい里芋を冬が来る前に食べてしまうための知恵であったらしい。その習慣に秋の紅葉狩りのようなレジャーの要素が加わって、とくに東北地方で盛んに行われている。味付けも地域によって特色があり、牛肉醤油味の山形風と豚肉味噌味の宮城風が2大勢力となっているらしい。そのほか、秋田方面ではしょっつる風というのもあるようだ。いずれにしても、みんなで一つの鍋を囲んで厳しい冬の来る前に楽しい時をすごそうという気持ちは同じもののようだ。
 今日の味付けは、山形風である。決め手は味のしみこんだコンニャクにあるのだが、芋煮制作お助け隊のバラトン氏の到着が遅れている。バラトン氏はなんと残り12枚ものコンニャクを引き連れてきているはずなのだ。

 まず、里芋、コンニャクをかるく湯通しし、釜に投入する。そして準備してきたワリシタをカップで計量していれる。このワリシタはようするにすき焼きのたれである。今日つくる芋煮の汁には濃厚な牛肉のだしがでて和風のコンソメスープのような味わいがでるはずだ。
 牛肉の投入はもう少し後まで延ばすことにして、里芋とコンニャクをじっくり茹でる。かまどの火を落として調整しくつくつと煮えるようにしておいた。

 いよいよ隣でも、むつ氏のほうとう制作が始まった。ツインかまどは機関車の心臓のようにあたりにエネルギーを放出し始めたのである。


□□

 コンニャクが来ない。待っても待っても来ない。もう4時になんなんとしている。これでは味に差が出てしまう。若干焦りを感じながらも、加門、MOTO両氏調合ボイルドソーセージ「まるいさ」燻煙風味と、むつ氏が「なつかしいでしょー」といって差し入れてきた「いなごの佃煮」をさかなにしてビールを飲んでいると、ようやくコンニャク12枚と豚肉を携えてバラトンさんがやってきた。なんでも別のキャンプ場にテントを張ってしまい、悠々とぼくらのやってくるのを待っていたんだそうである。さすがにシスオペはこの超過密キャンプ場を直感的に虫の知らせで回避したのであろうという評価が下されたのであるが、どうもただ単に勘違いであったという噂もある。
 さっそく、残りのコンニャクを投入し、薄切り牛肉も加える。少し火を強火にしてあくを取り除き、最後にネギを加えて完成である。あとは開宴を待つばかりである。

 メインタープの下でなにやら不穏な動きがあるのを見逃さなかった。ムヒョヒョヒョヒョーというような歓声ともいえるどよめきが上がった。即座に駆けつけると、加門氏がビールの生樽を持ち込んできたのだ。さらに「冷えてます!!」なんてのぼりまでおっ立てているではないか。なんという人たちであろう。この準備の過激さはぼくの想像を超えている。
 すぐにカップを持って行列の末尾に着く。コックを手前に引くとシュワシュワシュワとクリーム色のきめの細かい泡がでる。
「その泡がねえ、うまいんですよ」
中村氏がもう布袋様のようににこにこして立っている。
「これくらいのことやらないとFCAMPerはつとまらんな」
と加門氏。
「こんな事するのは加門さんだけですよ」
とMOTO氏。
宴会の準備はすっかり出来上がったもようである。

 オヒゲさんもようやくやってきた。ユーロバンはあいかわらず優雅な雰囲気である。
「オヒゲさん、こんにちは」
「どうも、お久しぶり」
手短に会話する。

 芋煮とほうとうの宴会第一部はかまどの周りをテーブルで囲んでとりおこなわれることとなった。全員がめいめいのカップや食器を手にして集合する。最初に簡単な自己紹介を行ってから乾杯する。あとは自由に好きなものを好きなだけ味わうのだ。ぼくは自分の作品の売れ行きが気なってしかたがない。「おいしい、おいしい」といってくれるのは最初の一杯だけで、結局箸をつけるのをみんながやめてしまったらどうしよう。気が気ではない。食べているふりをしながらみんなの様子をうかがっている。おっ、まずはライダーさんがおかわりをしたぞ、むっ中村さんはこんどはほうとうへ向かったな、加門さんはあんまり食べてないぞ、おっ、バラトンさんはおかわりをした。MOTOさんところはみんなで食べているな、オヒゲさんも奥さんもにこにこしているな、まだまだ釜の中味の減り具合は五分五分だな。

「おとーさん、もういらない」
なんとわが息子がはやくも戦線離脱してゆく。しかも、みかんが欲しいだの、飲むものが無いだのと言っている。我が子ならおとーさんのつくったものをしっかり食べろよ、などと思うのだが声高にいうわけにはいかない。
 しかし、ぼくの不安をよそにこれまで酒を飲むのもひかえ、食べるのもひかえ気味にしていた大人達はけっこうちゃんと食べてくれた。ほうとうも芋煮ももはや半分以上は消化されている。よかった。よかった。

                                 つづく


mIKEの紅葉オフ記 3
(14) 95/11/03 10:23

 次はメインタープの下に会場を移して第二部の始まりである。中村氏持参のお酒南吉や、むつ氏提供の地酒、ライダー氏のコニャック、加門氏の生ビール、アルコール類は引きも切らさず、次から次に出てくる。ぼくは早くも記憶回路に支障を来してきた。ここら当りの記憶の前後関係は事実と異なる可能性が高い。
 馬刺も出てきた。うまいぃ!むつ氏が早々に提供していた「いなごの佃煮」はすでに入れ物だけになっている。なぜか富山名物のますの押し寿司もある。だれがこんなものを仕入れてきてくれたのだぁ、おおぉ、鳥皮に軟骨の串焼きもあるではないか。カフェロワイヤルもでてきたぞ。そういった古今東西の名物は開陳したと同時に10本くらいの箸や手が前後左右から現れて、瞬く間に消えて無くなっていく。バッタの大群に襲われた畑の惨状である。

 子供達のために焚き火を始めた。ごうごうと炎は天を焦がす勢いである。勢い余って頭上の枝がぱちぱちいっている。加門氏がすかさず制御。その火を利用してダッチオーブンを使って焼き芋を始めることにした。始めると行ってもダッチオーブンにさつまいもをいれ炭火の中にオーブンごと放りこんでおくだけだ。オヒゲさんは簡単オーブンでバーナーを使って焼き芋をつくるようだ。後で双方味の比較をしてみようということらしい。え?もしダッチオーブンが負けたらどうなるんだ。これは送料のべらぼうに高くかかった逸物なのだ、絶対に負けるわけにはいかないではないか。しかし、結局ぼくは自分自身でこの焼き芋を賞味することなく、したがって自分で味の見極めをすることなく終わった。

 さて、オヒゲ氏所有グッズは数々あるのだが、今日の出物はキャタリティックヒーターである。これは円筒形の白金カイロのおばけみたいなものであるが、燃料は白ガスを使用する。点火の方法が一風変わっている。装置を逆さにしてガソリンをじわっと触媒の燃焼部分に染みわたらせ、そののち、チャッカマンなどで点火するのだ。点火の瞬間にふわっと火が点火地点から周囲に広がるさまが面白いのである。しかしその放出する熱量は以外に少ない。従って、多人数で使用する場合はテーブルの下に置くなりして熱をこもらせた方が良いようである。

 最後の登場人物のHOPE氏がやってきたのは、すでにぼくが酩酊の域に達していた頃だ。銘酒久保田を携えての登場である。ぼくはHOPE氏から手渡された久保田を抱きかかえ、すこしずつ飲んでいたようだ。だれにもあげないもんねー、などと口走った可能性もあるが、それらのことは忘却の彼方に消えてしまっている。
 ろれつの回らない頭とよたよたする足を引きずりながら、今夜の最後の企画、サーチライト、マグライト、ヘッドランプに懐中電灯、ろうそくランタンなんでも来い、灯りでてらそう和知野の紅葉、みんなで大照射映写隊に参加したのである。MOTO氏の音頭でみんな一斉に照射するのだが、薄ぼんやりと霧に翳る山肌が見えたり消えたりするだけである。映写隊員だって、今年の紅葉の色つきが悪いのを昼間みて知っているから、気勢が上がらない。だめですなー、霧がじゃまですなあ、酒がたりませんなあ、もう少し飲むしかありませんな、などと言ってすごすごと引き下がるのみであった。

 会場にもどって、いすに座り酒をのんでいたら、いつのまにかぼくは子供達と一緒になってぎゃあぎゃあと何事かしゃべっているのである。残念ながら内容はほとんど覚えていない。ただ、こどもの話す駄洒落やナンセンス造語に点数をつけているだけなのだが、酔いも回っていたのでやたらとおかしかった。
「鳩がなんか落っことした、ふーん」
「はははは、35点!」
なんて感じだ。だが残念なことに。ここでぼくの記憶回路はまったく断線してしまう。つぎの記憶は翌朝の目覚めから始まるのだった。


□□

 だれかの足音がする。カタカタとテーブルの音がする。朝だ。一瞬ここはどこだったろうと考える。そして気がつく。そうだキャンプにきているのだった。毎度のパターンである。
 テントの外に出ると。加門氏が炭に火を入れている。ぼくも昨日の芋煮を暖めるべくかまどに火をつけた。
 今日は雲行きが良くない。ぽつぽつと雨粒もときおり落ちてきているようだ。みんながそろそろ起き出してきた。そこここで朝餉の支度が始まっている。加門、MOTO両家の朝食はベーコンエッグだのピザだのが早くもゴージャスに並んでいる。
我が家の子供達にはみせられない。かれらにはフランスパンを切ったものに、薄切りビアソーをはさんで与え、小料理ライダー亭でつくられている芋煮スープの煮込みうどん風をもらって、そこらの片隅で食べさすのみだからである。加門家MOTO家の華麗さと比べたら、あまりに悲しい父子家庭なのである。とーちゃん、なんでぼくんちはああしてテーブルをかこんで食事ができないの。どーしていつももらいものばっかりなの。どーしてぼくたちにはおかーさんがいないの、どーして?どーして?ああ、涙がとまらないじゃありませんか。

 HOPE家では、昨日まともに食べられなかった芋煮とほうとうを家族で味わっている。お嬢ちゃん二人は、パパとママにカップを渡されてベンチにちょこんと腰掛けている。もっと欲しいときは、じっと食べ物のほうを見つめているから話さなくてもわかってしまう。HOPEママは懐妊中ではあるが、すたすたほいほいという感じでこどもの意を察し、おかわりをあげたり、布巾であたりを拭いたり片付けたりしている。HOPE氏も物静かにおかわりをしている。なにか非常にほのぼのとした家族なのである。

 HOPE氏主催の和知野きのことり隊が出発することになった。隊長のHOPE氏以下、ぼく、むつごろう氏、MOTO氏とこどもが5人である。場所は先週下見にきて目星をつけた場所である。車で20分程度の移動になる。2台の車に分乗して出発する。
 目当ての場所に着き、みんなで山に入る。入り口の沢をわたったときに、大きなあまごが跳ねた。こどもたちは岩の下あたりを探るのだが逃げ足の方が早い。もう禁漁だからそっとしておこう。
 真新しい足跡がある。先にだれかが入っているのだ。ひょっとしたらだめかもしれない、という不安感がよぎる。
 すすんで10分くらいでクリタケのちいさな固まりを見つけた。あったぞ、と呼ぶと子供達がわっと集まってきた。うんうん、まあ良いな。
 あとは山の斜面を上り下りし、手当たり次第に探すだけである。2時間ほどでぼくとHOPE氏の竹かごに少したまった。クリタケとイグチの他に、こどもが見つけた白っぽいきのこがある。帰り道のおみやげやのおばちゃんに見知らぬきのこのことを尋ねてみよう、とHOPE氏が言った。きけば、シンミョウジだかミョウシンジだか忘れたけれど、食べるととても美味しいきのこだという。取ってきた子供は得意満面である。

 キャンプ場に戻ると、どうだった、といってみんなが集まってきた。成果を見せ、さっそくHOPE氏の手によるきのこ鍋の作成に入る。MOTO家ではMOTO氏の採ってきたクリタケできのこスパゲッティをつくる模様である。もうすっかり仲良くなった子供達は、炭火をつけてなんときのこを焼いて食べようとしている。醤油をつけていただくのだそうだ。小さな頭を寄せあって自分たちで楽しんでいる。子供達はきのこの無くなったあとも煎餅やみかんを焼いて食べていた。

 余った牛肉のパックがあった。加門氏のところへ持っていく。
「加門さん、これなんとかして」
なんでもよろず余り物は加門氏のところへ持っていくと良い。はいよ、と受け取るや否や即座に美食に生まれ変わるのである。
 牛肉はたちまちすき焼きとなって我らの眼前に現れいでたのだ。さっそく中村、まるいさ両巨頭があらわれ、ぼく、加門氏らとともに牛鍋宴会が始まったのであった。今まさに食べようとする絶妙のタイミングで、バラトン、オヒゲの両氏がやってきて輪に加わる。さすがベテラン達はやることが心憎い。あいかわらず中村氏はでっかいこえで駄洒落をとばしている。ビールはまだまだ中村氏のクーラーボックスから無尽蔵にあらわれてくる。まことに平和な光景であった。

 さて、最後の芋煮スープを利用したきのこ汁はこれまた良い風味であった。むつ氏提供のそば麺をライダーママが茹でてくれた。この汁をつけて食べるとことのほか美味しかった。HOPEママの手によるきのこ雑炊もほのぼのとした良い味を出している。MOTO家のきのこスパも赤とうがらしの辛みが程良く効いた大人の味である。これらの作品が、またまたビールのつまみと化したことは言うまでもない。あいかわらず中村氏はビール片手にうれしそうである。
「mIKEさん、きのこ食べたら、みょーに笑えるんだっけどーぉ、ほほほほ」
「えーっ、それ不安だ、なーっ、はははは」
「なに、二人して笑ってんですかーっ、はははは」
「なんでもなーい、ひひひひ」


□□

 楽しい食事のひとときが終わった。さて、この後は最後のつらい仕事が残っている。撤収だ。ぼつぼつとみんなが作業を始める。別の場所にテントを張ったバラトンさんとオヒゲさん達がやってきていたが、まず最初に帰って行った。
 カップがなーい、この包丁だれのーっ、こっちにお皿がのこってるよーっ、ごみは出してねー、缶はつぶさないでねーっ、燃えるものは燃しちゃおうねー。いろんな声があちこちからかかる。あるいはいろんな装備の評価をしている。のんびりと進んでいる。午後になって空は本来の秋色を取り戻した。

 すべて終了した。再会を約束してキャンプ場を次々と車が去っていった。幹事のライダーさんは最後のごみ燃しをしてくれていた。

さようなら。じゃあ、またね。

                                おわり