mIKEの富士オフ記 屋台村1
(14) 96/06/18 23:05
□□ 【富士】オフへの道
さてこれは、富士の裾野でオフをやりましたというただのオフ記なのであります。しかしながら、今回のオフはmIKEの思い入れが大きかったのです。だからそれなりに前書きも贅沢をしたいと思います。
このオフのそもそものきっかけを書き始めますと、それこそmIKEがFCAMPに来た頃の話から始まってしまいます。そこでうーんとはしょって、とりあえず去年の11月まで遡ることにいたします。
去年の11月。mIKE家はある一つの知らせに震撼した。それは家長であるわたしの転勤辞令であった。その機を境にmIKE家はようやくすみなれた愛知の住処をあとにし、東京は狛江市に舞い戻ったのである。暮れもおしつまる12月の事であった。
mIKEは愛知在住時にFCAMPに入り、身も心も中部のFCAMPerとして精進の日々を送っていた。しかし、中部の人として全国オフにデビューすることなく、かような事情からたちまちにして関東の人となったのであった。
引っ越しの直前に中部の有志があつまり送別会兼忘年会を開催してくれ、その席で「中部と関東の合同オフはmIKEが行うべし」という勅命が下されたのである。根が素直なmIKEとしては諸先輩の言に抗うべくもない。その命を胸に秘めた決意の上京であった。
公の場では一言もそのオフの話は切り出していなかった。だが、ある日の19番会議室。見ていて驚きのあまり目が(・・)になってしまった。
それは96年1月28日の発言番号10669である。この中に次の様な記述があったのである。
>> 【話題に出たミニオフ案】
>>
>> 4月初旬 恒例犬山オフ むつごろうさん幹事
>> 4月中旬 富士山下見オフ 関東派遣員mIKEさん幹事
>> 5月GW 全国オフが有るのか無いのかSYSOPが教えてくれない(;_;)
>> 5月下旬 富士山オフ mIKEさん幹事予定
>> 6月2日 中部蜆狩2 ライダー専属幹事
>> 6月初旬 長野オフ 関東メンバー幹事
>>と、取りあえず耳にした情報です、中部蜆以外は、確定では有りませんが、
>>実現できると良いですね。
これを見て、しばし我と我が目を疑ったのである。この記事を書いたのは中部のFCAMPerご本尊のライダー氏であるが、彼は嘘はったりを書く人ではない。とすればきっとどこかでぼくが彼に話した事になる。
では、それはいつのことだったか。
これも詳しく書き始めると長くなるので省略するが、この発言に先立つ1月14日。ぼくは本栖湖にキャンプに行っている。そこでELVIS氏はじめライダー氏らと一緒に「アウトドア日誌の今後について考えながら、おでんと熱燗をきゅうううううっと一杯やって、見上げてごらん夜の星を、を歌う会」という厳寒キャンプをしており、まさにその宴席で彼に話していたのであろうと思う。あろうというのは、その記憶が遥か彼方に飛び去っており今は定かでないからだ。
そして恐るべきことに、ぼくはその発言を読んだその週に某町田のFCAMPerまっちゃんと秘密裏に新宿の3丁目で会い、追い立てられるようにして、関東中部の合同オフ企画の作戦を練るという行動にでたのである。
これまた根が素直なまっちゃんはそれならば是非というわけで、とりあえず場所を大野路キャンプ場に設定し、4月上旬に一緒に下見に行くことを決めてしまったというわけなのである。
某町田のFCAMPerまっちゃんの素性はあえて伏せておくが、この夫婦の漫才ぶりのことは14番のその他の記事を参照されたい。
かくして、5月下旬に照準を定めたmIKEの初企画、富士オフは長い試練の道を滑り出したのであった。時は未だ冬本番の1月のことである。
とはいってもメインとなる企画案もない。どうすれば良いのか判らない。判らないまま月日はさらに過ぎて行くのみであった。
その間、何回かキャンプを行い、4月には厚木デイオフ2に参加し、ようやく念願かなって関東のオフに行くことになったりした。
一方、全国オフのアナウンスも始まり、にわかにFCAMP周辺は慌ただしくなってきたのである。
そんなおり、予定していた下見を行った。その下見の様子は「mIKEの全国オフへの道」というしょうもない最初で最後の連載日記第11章および第12章に詳しいので、これまたそちらを参照していただきたい。
ともあれそんなこんなで下見も完了し、おりしもmIKEの胸の内に我がキャンプで志向するスタイルとはどんなものであろうか、などといういささかメンタリティーあふれる哲学的テーゼがあふれているときでもあった。そしてその時は、みんなでワハハハやりたいなあと思う気持ちがこれまた激しく強くわき上がり、当時のmIKEとしては進むべくして屋台村の構想へと駒を進めていくのでありました。
□□ 追加募集6分後の疑惑釈明
さてさて、ようやく本編突入が近づいてまいりましたが、どうしても知っておいていただきたいお話がござります。
それは、ついに今明かす予約の話と追加募集6分後の疑惑に関する内容でございます。そんなことはどうでもいい、とおっしゃる方はどうぞこの章は飛ばしてくださって結構ですので先に進んで下さい。
下見に来て、だだっ広い大野路キャンプ場がすっかり気に入ったぼくは、さっそく管理人さんに相談をし、即座に5月本番のオフのためにサイト予約をしてしまった。15組を予約。それくらいたくさん来てくれるのならば1区画をFCAMPerだけで占有してもいい、ということだった。
「はいはい15組ねえ、いいですよお(^^)。じゃあ、ここに書類を用意したから必要事項だけ書いておいて下さいねえ。それとこれが銀行の口座だから、前もって金額を振り込んでおいてねえ(^^)」
「はっ?振り込むとは?」
「お金(^^)」
「はあ…お…かね…ですか(^^;。で、いかほどで…(^^;」
「エーっと、15組だからねえ7万5千円だね(^^)」
「ななななななな、な、ななまん、ごごごごご、ごせんえん?」
「そう(^^)」
「やっぱり、振り込み前提ですか」
「そう(^^)前提(^^)V」
「あの、後払いは…」
「だめね(^^)」
「たはあ…」
うぶで純情なぼくは、幹事としてなんとかせねばならぬと思ってしまった。お金を払い込まねば15組の貸し切りサイトが確保できない、という脅迫観念に支配されたのである。
金は天下のまわりもの。苦あれば楽あり。ひょうたんから駒。たなからぼた餅。七転び八起き。天は人の上に人を作らず。少年よ大志を抱け。ぼくのあとに道はできる。と、自らを励まし、以後mIKEは金策に走ったのでありました。
今になって考えてみると、もう少し早めに19番にアップし心持ち余裕をもって参加者一人一人に振り込みをしてもらえば事足りたのでありますが、なにせ世間に疎いmIKEゆえ、このときは脇目もふらず友人知人親戚縁者に金蔓はないか走り回ったあげく、なんとか予約金を振り込んだわけであります。
で、そんな背景もありましたので、幹事の本心本音は複雑にして混乱の極みでありました。ワイガヤするのは大勢がいい。しかし予定の15組以上参加者が増えては予約金だけでもたまったものではない。ということではありました。
はたして何組集まるか。アップするのは気がきではありませんでした。多くても困る。少なくても困る。
全国オフが終了し4月29日に長野まるべりーキャンプ場から戻ったぼくは、その夜に富士山オフのアナウンスを流すべく、午前0時の来るのを待っていたのであります。
アナウンスもアップし、月日は流れ定員の15組が決まりかけている時、富士オフに乱入したい旨のメールが舞い込んできたのであった。乱入者歓迎。即座にオーケーの返事を出したのであるが、だんだんその人の言動が変化していったのである。聞けば、別のキャンプをすることになっていたのに、それが中止になった。行くあてのない我が父子を救って下さい、と、まあそんな事になって来たのだ。
さらに追い打ちをかけるように、滑り込みアウトの参加希望者も現れ、これはやっぱり何とかしなければと、再びmIKEは金策に走ったのでした。
二人分追加と簡単に言っても金一万円也であります。キャンプ場に問い合わせれば、
「なんにんでも追加オッケーですよー(^^)V、振り込み忘れないでねー(^^)」
などと言われる。とりあえず2名分を追加予約し、この二人が確実に参加できるように、増員案内をアップする時間を密かに両名にメールしたのでした。
密約であります。予定調和です。裏工作です。
この段階で談合が成立しておるわけでありまして、その内幕をしらないまま、ああ、やっぱりすぐに追加枠も埋まってしまったかあ、とお思いになった方には申し訳なく思っておりますが、これもこのように予約制度の関連で幹事があたふたしてしまったことと水に流して下さいませ。
このようないきさつから、追加募集6分後の疑惑などとみなさんから指弾されることに相成ったわけであります。概ねみなさんが予想していた通りの内幕があったわけです。しかし幹事としましては、うっかり追加募集をして更に更に人員が増えようものなら、ついに高利貸しにまで手を染めなければならず、つい、魔が差したということでありまして、そのあたりの事情を察していただきとうございます。
ともあれ、ようやくすべての準備を終え、いよいよ明日はオフ当日を向かえることになったのでした。
mIKEの富士オフ記 屋台村2
(14) 96/06/18 23:21 01882へのコメント
□□ いざ【富士】オフへ出発
いつものように両手にトートバッグを持ち駐車場に向かった。天気は上々。目指す富士山も遠く丹沢山の向こうにうっすらと白く見えている。
これからいよいよ【富士】オフに出かけるのだ。
街の細い路地を東名用賀インターに向かっていく。ピリピリと電話が鳴った。
『もーしもし。あっmIKEさんかねえ?いまどこお?』
このだみ声はすぐに判る。
「あっ、ああ、中村さん、おはようござい…ま…」
『うちら、もお、沼津にきとるでねえ、今から丸天で朝ご飯たべて、そいから魚センターによってこうとおもっとるんだわ。mIKEさんいまどこ走っとるとこ』
「いまねえ、東名にむかってるところ、だから…」
『何時頃つくのお』
「まだあと2時間くらいかかるかなあ…」
『ほんじゃあ、先に行って待っとるでねえ、はよう来なあかんよ、ビールが待っとるよ』
中村さんというのは、中部は豊田市在住のFCAMPerで、mIKEのつれづれ記他に度々登場してくるのでご存じの方も多いとおもうが、とてもシャイな人である。
シャイな分だけ声と身体がでかいので、目立たないようにしようという意志に反していつもまわりをにぎわせしまう。はじめて会った人にでも遠慮会釈無く厳しいことをヅケヅケというので、心臓の悪い人は近づかないほうが良いかもしれない。しかし、このサイボーグの様な旦那にも弱点はあるもので、めっきり奥さんには弱い。これがまたこの人が好まれる理由でもある。
とにかく、その電話のおかげでオフへの心の準備が完了したというものだった。東名高速は順調に流れており、ぼくは予定通り9時30分に大野路キャンプ場に到着した。
大野路ファミリーキャンプ場は富士の裾野になだらかに広がるだだっ広い平原の中にある。昔は芝の畑であったということだ。したがって芝に覆われたグランドのような広いサイトが何面もある。順繰りにサイトを解放し、痛んだ芝は常にメンテナンスされているので、いつでも青々ふかふかの絨毯のような芝の感触を味わう事ができる。
また、ここでは湧き水がいつもこんこんとわき上がってきており、キャンプ場の水道はすべてこの湧き水によってまかなわれているために、富士の自然水を飲み放題ということになっている。
ただ、子供が遊べる水場のような施設は無いので、夏場はさぞかし困るだろうとは思うのである。太陽の光をさえぎるものもない。真夏の直射日光にさらされるのはちょっと酷かもしれない。
しかし風景はとてもいい。正面には富士山。振り返ると箱根の山並みとかすかに見える街の建物。広がる空。麓方向から吹き上げてくる風は思いのほか心地よく、いつまでもその風に吹かれていたいと思ってしまう。
サイト中央にあるキャンプ場の管理棟に立ち寄るが、だれもいない。そのまま受付のあるレストラン大野路の駐車場に向かった。
見覚えのある青いセレナが駐車している。まるいささんだ。かれも中部のアクティブなメンバーで、大抵のオフには顔を出している。小さい子供が二人もいる。一見するとお腹の出っ張ったおじさんなのであるが、ぼくと干支が同じである。ということはぼくと差し引きで…、えっ…、まだ20才…台なのだ。
このジュニアがまるでおとーさんのミニチュア版で、いつもおへそから先に歩いていく。今回のオフではまわりのおにーちゃん達と一緒にすたこらすたこらと四方八方に歩いていた。
「ミーケさーん、おはよう」
かれはぼくのことを呼ぶとき、いつもこのようにミのあとをのばす。
「おはよう。早いね」
「もう一時間も待っとった。ここは広くていいねえ。途中でCMWさんに行き会って一緒にきたよ」
「こんにちは」
といって赤いワーゲンカリフォルニアの影から、白い麦わら帽子を被ったやせぎすの人があらわれた。
「どうも、mIKEです」
「あっあのう、カラーマイワールドですう。ながったらしくてすいませえん。ほかの呼び名がつけられないもんでえ。今日はお世話になりますう。なんにも判らないから緊張してますう、これがうちの家内ですう」
ワーゲンの中ににこっと笑顔のこれまた同じようにやせぎすの奥さんが鎮座ましましていた。にこにこと微笑んでいる。
まだ時間があるからと、CMW家とまるいさ家は、キャンプ場から少し下ったところにあるローラー滑り台に遊びに行った。
ぼくは、することもないのでサイトの様子を見ることにした。昨日からキャンプに来ていた人たちがちらほらとテントの横にテーブルなどを出して、朝食などを楽しんでいる。だだっ広いサイトを占有している。
ぼくらが入る予定のサイトは人っ子一人いず、少し伸びた芝が青々としているのだった。よしよし、とぼくは一人うなずいた。
駐車場に戻るとGONBEさんが到着していた。GONBEさんは肩に携帯無線機のマイクをつけ、時折ガーガーと無線機の音をならしていた。
「どうも、mIKEです、おひさしぶりで」
「ああ、mIKEさん、思ったよりはやくついちゃった」
「みなさんとコンタクトとれますか」
「うーん、さっきからやってるんだけどね、まるいささんとはちょこっととれて、今、なんだか滑り台にいったみたい」
「他は?」
「まだだけど、やってみようか…、あー、こちらは、セブンエヌスリー×××、FCAMP各局入感ありますかあ、にーてんはちはち、ツーポイントハチハチで待ちます、どうぞ」
「…セブン…エヌスリー…×××、こちらはセブンエムワン○○○、石川です」
などと、ぼくには意味不明の会話をしているのだが、どうやら石川さんとコンタクトがとれた様子である。
「えー、石川です。今河口湖からそちらに向かっています。ルアー投げてみたけど全然だめ、でも、すっごい人でそっちのほうがびっくりしてます。だいたい3メートルおきに釣り竿が出ている状態。まもなくそちらに向かいまーす、どうぞ」
「えー、セブンエムワン○○○石川さん、セブンエヌスリー×××GONBEです。いまぼくは大野路の駐車場におります。mIKEさんは隣で聞き耳を立てております、お待ちしています」
GONBEさんもぼくと同じくきわめてまじめな人である。自己紹介なんかをしてもらうと表情がクッと変わる。普段の目尻下がりっぱなしの両のまなこがぐぐっとつり上がって、話す声色おとなしく生徒会長の挨拶風になるのである。七輪を前に焼き鳥を焼く表情と、そのきまじめな表情に隔絶の感があるのが特徴なのである。得てしてこういう人は堅い仕事を持っていたりするがどうだろうか。
そんな無線の会話を聞いていると、低いエグゾーストノイズを響かせながら、青いインプレッサがやってきた。金色に光るのはマグネシウムホイールであろうか。降り立つ人はとみれば、少し長めの髪を真ん中からわけ、スリムのジーンズとサングラスできめたハマの若大将RIDEさんである。
「こんにちは、RIDEです」
「ああ、mIKEです、どうも、なかなか走りそうな車ですね、このボディで2リッターでしたよね、この車」
「ええ、でも、物足りないなあ、などと思っているのですよ」
「へーっ、じゃあ、そういうわけでビールでもいきますか」
「はっ?はあ…、い…いいですねえ、景色もいいし…ははは」
RIDEさんは下戸なのであった。
GONBEさんとRIDEさんと3人で缶ビールを手に風に吹かれていると、またも胸ポケットの電話がピリピリと鳴った。
「あ、はい、もしもし」
『もしもし。あっFCAMPのmIKEさんですか?あ、あの、いなもっちゃんです、こんにちは』
「ああ、どうも。どうですか、お子さんの具合は」
『水疱瘡みたいで…、やっぱり無理みたいなんです』
「じゃあ、今日はキャンセルにしたほうがいいですよ、こちらは問題ないですから」
『キャンセル料どうしましょうか』
「いいですよ、たぶん大丈夫ですから」
いなもっちゃんからは、急に娘さんが具合が悪くなったとのメールを受けていた。水疱瘡ではどうしようもない。チラと予約金の事が頭をよぎったが、そのうちなんとかなるだろう。
でも、こういう時に携帯電話は便利だなあ、とつくづく思ってしまった。どんなに遠くても目指す相手に必ず声が届くというのは脅威的な事だ。しかもここはキャンプ場なのである。
ぼくは電車の中や人混みで携帯電話をかけている人をみると、なんだかうんざりしてしまうくせに、こういうときの自分の事は棚に上げている。自然の中に入ろう、これからキャンプをしようという人間が、そこへ電話を持って行くなどということに、不自然さを感じないわけではない。しかし、緊急時の連絡手段を確実に押さえているということのほうが意味があるような気がして、今は安心できるのだ。留守宅においてきている娘にも、いつも連絡できる手だてがあるという気休めにもなっているし。
続いて現れたのは黒いビッグホーン。町田のFCAMPerテールウォークさんである。今日はソロで現れた。小学校の運動会があって、その子ヤンマー兄弟と奥さんのえっちゃまんは遅れてここにやってくるというのである。
「おはようございます」
「どうもどうも、今日はすみません」
「いやー、いい天気でよかった」
「で?奥さん達はどうするの?迎えに行く?」
「いやあ、とにかく何とかしろって。這ってでもこっちへこいって言ってありますからぁ、心配ないですよぉ、えっ?もうビール飲んでるんですかぁ」
テール氏にはこのキャンプ場の下見にもつきあってもらった。運動会が重なったにも関わらずこのオフには行きますよ、と言ってくれた。FCAMPにおけるぼくの盟友である。ぼくは勝手にそう決めている。彼はこのキャンプ場を紹介してくれた人でもあり、テール氏はじめ本当に良い人達と友達になれたなあ、などと、ぼくは時々思うのである。
彼、テール氏とその家族の様子は追って書く機会があろうと思う。
続いてやってきたのは、白と青のツートンカラーのハイエースバン。ドアを開けて緑色の前掛けをしめたでっかい人が目尻をめいっぱい下げて近づいてくる。
「mIKEさーん、遅うなってまったけど、どお?これ、いこ」
とビールの缶を差し出す。
「もう飲ってるよ、中村さん、あっ奥さんおはようございます。仕事終わったままで眠くない?」
「大丈夫、車の中で寝てきたから、うちはいっつも来るときはおとーさんの運転だからいいの」
つづいて子供達も降りてくる。おとうさんにくっついてくるのはタカシである。タカシはよくおとうさんにしかられる。しかられる時は気をつけの姿勢をとらされる。こら!タカシ!気をつけい!これが中村さんのやりかたである。この光景に出会ったら、ようく注意してほしい。中村さんの目が笑っていることを。なんだか、とても楽しそうにしているのは、きっとどこかに遠い自分の子供のころの姿を見ているからだろうと思う。
と話しをしていると黒いプリメーラが登場。キレットさんとシェスタさんである。
「おはようございまあす。眠いわ」
いつものハスキーな声でシェスタさんが眠そうな面もちである。ご主人のキレットさんは濃い眉をきりりとしめてにこにこしている。実は今回のオフでの収穫の一つにこの夫婦の事がある。これもおいおいあとでお話できるだろうと思う。
mIKEの富士オフ記 屋台村3
(14) 96/06/18 23:23 01882へのコメント
□□ 屋台村が出現する
そろそろ受付の開始される10時10分が近づいてきた。ぼくは参加者の名簿をテール氏に渡して、時間になったら提出してもらうように頼み、自分は管理人さんに挨拶に行った。
今回のオフで使用する第7サイトは、この大野路キャンプ場のほぼ中心に位置するところで、管理人室のある入り口右側である。
管理人室の向かいに売店が開店していて、若い男性がにこやかにあたりを掃除していた。
さっそく今日のサイトの確認などをする。
「ああ、きょうの団体さんですね。一応、サイトはここの7番を使ってもらうことにしています。ええと…17組でしたね。じゃあ、ここから右側全部使ってもらっていいです。今日はここには他のキャンパーさんは入れない事にしていますから、大丈夫ですよ。飛び込みがあったら少し入ってもらいます。で、みなさんもう来ているんですかあ」
「ええ、もう上の駐車場に集まってきていますから、受付が済んだらここに来ると思います。ええと、ぼくらの仲間の車にはFCAMPっていうステッカーが張ってあるから、判ると思うんですけど、ここでぼくが誘導してもいいですか」
「お願いします」
などと、管理人さんと話しをしていると、受付を済ませたキャンパーが一台、また一台とサイトに降りてくる。管理人さんはそれらの車を止め、予約名簿を確認しながら、各一台づつにサイトを指示している。みなぼくらのサイトとは全然反対のサイトを割り当てられている。
FCAMPerの車はぼくが入門証を渡して7番サイトに誘導する。次々とFCAMPerが入ってくる。梅さん、けむたまさんも来た。ライダーさんも手を振り降り入ってくる。石川さんも来た。ぢゃぶさんも来た。みんなにこにこしている。最初からとてもうまくいっているなあ、とぼくはうれしかった。
サイトに立ってぼくは考えた。さて、何から始めるか。まだ来ていないのは3組。とりあえずすすめて行こう。まずはメイン会場を…、あっあれ?もう作業が始まっているぞ。と、急ぎみんなのところに駆けつける。
「mIKEさん、メイン会場どうする?」
「mIKEさん、タープはだれが出すんだっけ?」
「mIKEさん、それぞれのテント出すのはあとでいいよね」
「mIKEさん、この上の6番サイトに人は入ってくるのかなあ」
「どうする?どうする?」
「あああ、えええ、おおお」
ぼくは、ちょっと気を落ち着けてから言った。
「えと、とにかくメイン会場を作るのが先です。タープはライダーさん」
「はーい」
「中村さんも」
「もうだしとるがね」
「テールさんもたのむね」
「はいよ」
「そうして石川さん、でお願いします」
「らじゃ」
「他の人もまずこちらを手伝って下さいね」
「あいよー」「ほいほいな」「うんじゃまあそういうわけで」
それからが見事だった。一気に4枚のタープが、すくっ、すくっ、すくっ、すくっと立ち上がり連結された。みんな要領が判っている人たちばかりだからアイコンタクトだけで仕事がすすむのである。
今日はじめてオフに参加したというCMWさん夫婦は、あっけにとられてこの作業の様子を眺めている。
ものの20分もたっただろうか。忽然と4連のタープが姿を現した。茶、茶、シルバー、アイボリーの4枚。縦寸約15メートル、横寸約5メートルの屋台村社屋が完成したのである。
しかし、ここで作業の手がやすまる事はない。みるまに今度はテーブル、チェア、バーナー、クーラーボックス、食器などが次々と搬入されていく。一気に屋台村が活況を示し始めた。ぼくも負けじと車からテーブルを運ぶ。
石川さんとMAMIさん夫妻はスクリーンテントを建て始めた。STサウスを改良しサイドスクリーンをオーニング加工したものである。本体とはジッパーで止められるようにしてあるという。オーニングにあたるサイドタープの生地はグリーンの傘の生地で、MAMIさんが夜なべをして作り上げたということだった。こういう面白グッズがでてくるからFCAMPのオフをやめられないのである。
MAMIさん手作りの品はまだまだあった。誰しもが望み、そして一度は手にしてみたいと願う、FCAMPの旗である。FCAMPのオリジナルステッカーを拡大し、そのデザインをなぞって白布に染料を手で少しずつ染み込ませたという苦労の大作である。しかし、この旗はきっと華々しく表にでることはないであろう。個人で楽しむ他には使えないのである。残念ながらである。なぜならそこには著作権があるからである。
ちなみに、今回富士オフの集合写真をライブラリーにアップしたが、写真に写っているこの旗はオリジナルとは異なり少し修正加工してある。致し方ないことなのだ。もしも興味のある方は今後石川夫妻とオフをしてそっと見て欲しい。
ともあれ、FCAMP旗のはためくその下で、いよいよぼくらの屋台村は開始のゴングを待つ…、ええっ、だれ、そこで七輪だして焼き鳥やろうとしているのは。とにかくやることなすこと早いんだから。
屋台村の設営が一段落すると、みんなは勝手な行動を取り始めた。まずは自らのテントを建て始める人たちがいる。
今回ソロ参加は4組。GONBEさん、RIDEさん、けむたまさんとまだ来ていない白嶺さんのはずだ。
けむたまさんは厳密にはソロではない。最愛の嬢ちゃまアスカちゃんに連れられての参加なのである。愛車カルディナのイスにちょこなんと乗った愛娘をひょいと抱いてニコニコしている。嬢ちゃまは、まだ眠けが残っているのか、眉を八の字に寄せて、こんにちはというぼくの顔を斜めに伺いみている。
けむたま氏は、なんだか恐竜の玉子のような色合いのまだら模様帽子を被り、西の喫茶店の主ライダー氏と談笑している。
ぼくはライダー氏は西のコーヒー屋さん、けむたま氏は東のコーヒー屋さんだと勝手に思っているから、この二人の立てるコーヒーの饗宴にひそかに期待していた。
さて、この一人と3匹のソロキャンパー達は巣を作りはじめ。7番サイトのやや奥。メイン会場から少し離れた位置に巨大なウィングタープを張り、その下に小さなテントを3張。肩を寄せ合うように設営している。RIDEさんなどはすでにくつろぎ体制に入っており、深々とチェアに腰掛けている。シングルの身軽さを感じるのであった。
GONBEさんはなにやら燻製器を設置して愛車GONBE号の脇で香ばしい煙を出している。
その横では、サイドオーニングをするすると張り出させた赤いVWキャンパーCMW号が静かに停車している。CMW夫妻は、今日これから始まる屋台村の饗宴に恐れをなしたかのように手と手をとりあっている。
「なにしていいのかわからないんですう」
「なにもしなくていいですよ。イスと箸を持っていって座っていれば大丈夫」
「でも…ねえ…、そんなわけには…、ぼくらなにも持ってきてないし…」
「いいの、いいの、行けばわかる」
「えーっ、そっそうですかあ」
そうなのだ。だれだって初めは、あっ、これちょうだい!なんて言って箸突っ込んだり、おっ!これうまそうだな、などと言って高いお酒を勝手に飲んだりはしないものだ。最初だけは。ぼくだって…。
でも、いまやオフ馴れするとそんなことはどうでも良くなる。人のものはオレ様のもの。他人行儀は空腹のもと、早く食べなきゃ次がまたくる、というわけでもう何でも食べる飲むの体制に入ってしまうのである。つくづく恐ろしい事だ。なんて自分は変わってしまったのだろうと思うのだが。これでいいのだ。これがオフのいいところなのだ。
そのほかに、ぢゃぶさんもテントを張っている。ぢゃぶさんは、誰彼になく
「どっかでお会いしたことありませんか」
などと声をかけている。そういえば、ぢゃぶさんを見ているとどっかで見た顔だなあ、と思ってしまう。だれだろう。こういう人いたよな。いつもどっかにいるような感じ。修学旅行の写真なんかをみているとフッと思い出す顔。そんな感じなのだが判ってもらえるだろうか。あるいは、いつも行く八百屋のおにいちゃん。まいど!なんていいながら、ちょっと空をみて。今日はいい天気だからさあ、仕事なんかやってらんないねえ、なんていう。
今日はオレンジ色のポロシャツに黒い帽子。オデッセイのワッペンが張ってある。肩幅が広くてがっちりしている。
ご子息と二人での父子参加である。このご子息が端正な顔つきで母の面影を彷彿とさせる美男子である。ちょっと若い頃の奥田英二を連想させる。
キレット&シェスタのご夫妻もロッジテントを張り終え、屋台村にやってきた。このご夫妻はホームページを開設し、インターネットでも情報発信しているのでご覧になった方も多いと思う。少し前まではホームページの第一面を上高地の北アルプスをバックにした写真で飾っていた。最近はおもむきを少し変えてひるがの高原でのキャンプ風景にされている。ハンドルが示すように山好きのご主人と物静かに見える奥さんなのである。
ご主人のキレットさんは好青年という感じである。いつも奥さんのシェスタさんのいうことを聞いている。
「ねー、玉ねぎきざんでくんない?」
「いいけど、包丁どこだっけ」
「そこよ」
「えーと、あ、あったあった、はははは」
「笑ってないで早くやんなよ」
「うんちゃうんちゃうんちゃ」
「ねーっ、ちゃんと切れた…、えー、なにそれえ、そんなにおっきく切ってどうすんのよー」
「あれえ、玉ねぎってこういうふうに切るんじゃなかったっけ」
「それじゃあ、カレーじゃない、今日はとろいわしにつかうんだからあ、スライスしてくれるはずじゃなかったのお」
「あれえ、そうだったっけ、ははははは」
「笑ってないで切り直してよ」
「はははは、できないよ、はははは」
という感じである。ぼくはこのご夫婦はきっと喧嘩なんてしたことがないのではないかと思ったものである。ご主人がボケで奥さんがつっこむのであるが、暖簾に腕押し、柳に風。馬の耳に念仏が猫に小判している感じなのである。
では会話が成り立っていないかというとそんなことはない。なんとも不思議なご夫婦なのである。ぼくの知っている町田のまっちゃん夫婦に匹敵するおかしさである。
さて一方、石川ご夫妻はスクリーンテントを張り終えたあともちゃくちゃくとドームテントを張り、次にキッチンまわりを取りそろえつつある。MAMIさんともどもすっかり余裕のある体制である。
ぼくは石川さんとは二度目の顔合わせになるのであるが、厚木オフではじめてあった時は、想像していた人物像と実物とが違っていておかしかった。石川さんはもっとこう、どちらかというと良いおじさんで、会社でいえば女性社員に好かれる総務部長さん、みたいなイメージだったのだ。でも、実際は、話す言葉は歯切れ良く、サングラスをつければGIジョー、というふうな精悍な戦闘機パイロット風、会社で言えば課員を引っぱる花形営業課長さんだったのである。名刺を見れば、FHAMやFFISH、などと多彩な趣味に関連するフォーラムの名前が刷り込んである。ふと見ると、いままさにスペースギアのルーフラックにアンテナを取り付けようとしているところで、まさに行動派なのである。
ようやく一段落するころになると、いよいよ屋台村に人が集まってきた。中村さんは駄菓子をテーブル一杯に広げ
「駄洒落一回で、お菓子一個だでね、ちゃーんといわんとあげんでね」
などと言って、さかんに子供を集めている。
子供達は、この駄菓子と梅さんが始めたかき氷に列をなしている。
mIKEの富士オフ記 屋台村4
(14) 96/06/18 23:24 01882へのコメント
□□ 屋台村が店開き
梅さんは発砲スチロールのとろ箱2杯にぎっしり氷を詰めて持ってきていた。今日のようなどこまでも晴天の日には格好の品である。
シャリシャリシャリ。その音がいくらも続かない内に、子供達の列ができてしまった。おかーさん達ものぞいている。
梅さんは父と娘の父子参加であった。ほんのほんのまったく本当にほんの少しだけれど顔は浅井慎平に似ている。わが妻かおりさんによれば髭をはやしたら三国人ということになる。赤いポロシャツ姿で一生懸命子供の相手をしている。
今回、中部のキャンパーに会えることを楽しみにしていたようで、いろんな
ことに感心していた。
「いやあ、中村さんの姿は想像してきたけど、ちょっと違ってたなあ、予想以上に良く喋るわ」
「いやあ、中部の人がタープタープっていう理由が判ったなあ、関東だとST連結なんだけどなあ」
「いやあ、ライダーさんとこではネルでコーヒーいれてるんだもんなあ」
「いやあ、すっごいたべものだなあ、だから中部の人はみんな太っているんだなあ」
「いやあ、これがとんちゃんなんだなあ、牛だったらもーちゃんなのかなあ」
「いやあ、またまたお酒がでてきたなあ、これみんな飲むっていうのがすごいよなあ」
「いやあ、これで名古屋弁を修得できるかなあ、エビフリャーだがね」
「いやあ、いやあ、いやあ」
ライダーさんはせっせせっせとコーヒーをホウロウの大きなポットに2杯も作ろうとしている。まことに見事な喫茶店となってあたりに香ばしいかおりを漂わせている。
その横で、これまた自作のペール缶3段重ねの重量級スモーカーをもうもうとさせて、ピスタチオの香り付けをしている。
このスモーカーは、今をさること約一年前。夏のさなかに行われた第一回乗鞍オフの燻製教室に出展したものである。その性能については、14番会議室「mIKEの乗鞍オフ記」に記されているのでこちらを参照していただきたい。
とにかく、彼の道具へのこだわりは他の人々を凌駕している。本【富士】オフでも、そのようなライダーさんの顔をひとめ見たいと参加したメンバーもいるのである。
今日もまた新しい道具のお披露目をしている。
「mIKEさん、これ見て。また買っちゃった」
「おお、EPIの強力バーナー、名前なんていったっけ」
「いわゆる高カロリー競争に終止符を打った最強のワンバーナーGSSAストーブS−1008。オートキャンプからヒマラヤの高地まで、2バーナーを凌ぐ機動力。カレー30人分、中華大鍋料理でも芋煮でも楽々こなす。オートキャンプの必携品。重量975g、脚4本。出力は5800kcal/hを誇る。ただし別売りの専用パワーチャージャーA−6804使用時のデータ」
「ううむ、すごい」
「すごいでしょお」
ここでぼくがすごいといったのはストーブの事ではなく、このような説明をするライダーさん当人に対して言っていることに本人は気付いていない。
かれの愛車ハイエース(中村さんと同型)のカーゴルームはいつも見学者があとを絶たない。今日はまだお目見えしていないが、バイクまで積載されているのである。
「と…ところで…ライダーさん、そのバーナーでなにするの?」
「うーん、まあ、お湯を湧かす…ってとこかな」
「……」
最近ソロキャンプにも目覚めた彼は、奥さんの冷たい視線をものともせず、一人にこにこし、キャッキャッ、キャッキャッとはしゃぎながら、新たに買い揃えたグッズを眺めては遠くを見つめる事が多くなったという。危険な兆候なのである。
「mIKEさーん、これさばいてちょ」
「なに?ええーっ、た…たい?」
「そお鯛」
「なんで鯛なんて買ってきたの」
「なんでってゆーても、きょうはライダーさんの誕生日のお祝いをせなならんもんで、買ってきたと鯛。めで鯛から鯛。mIKEさんならできると思っとったと鯛」
なんだか西郷さんのような口調になっている。
「だーから、おとーさん、そんなもん買ってったらあかんて言ったのにー、見てよmIKEさん困っとるでしょお」
「まっ、まあ、いいですわ。ひとまず預かって、うちのおかーさんならできるから」
「ほれみい、mIKEさんならやってくれる鯛」
まことに人騒がせな中村さんである。これからは小出刃を必ず持っていかないとダメだね、とオフから帰って、ぼろぼろになった我が包丁を研ぎ治しながらおかーさんと話したものだった。
とうの中村さんは七輪に火を入れ、どこから持ってきたのか鯛焼きの金具をセットし、鯛焼きをはじめようとしている。ぼくは生の鯛のお返しにと、アンコを提供する。焼き手は娘のアキちゃんである。
鯛のお刺身はたちまちのうちに消えてなくなった。
各自昼食を取り始めることとなった。わが家は定番のスパゲッティである。これはしごく簡単なメニューで、ゆで上がった麺になめ茸の瓶詰めの中味を絡めて海苔をふりかけるだけで出来上がり。
GONBEさんは焼きそばを作っている。大人用に辛い味付けになっているのであるが、これがまた美味しい。ビールの缶がどかどかっとテーブルの上に並ぶ。
キレット&シェスタさんはお蕎麦を茹でている。石川さんちではテーブルにフルーツポンチをでっかい容器に入れてみんなで取り囲んでいる。
梅さんはビニール袋に用意したタンドリー風チキンを七輪で焼き始めた。
みんな、出来上がった食べ物を、移動しながら食べている。正午の楽しいひとときであった。
テール氏がなにか始めた。白玉団子を作り始めている。溶いた白玉粉をまるめているのは、ライダーママとCMWママ、子供達も何人か両手でコネコネマルマルしている。
次にこれら丸め団子を蒸す。それから串に刺して炭火で焼く。という実になんというか手の込んだ作業を進めているのである。
テール氏は世田谷は烏山あたりの出で、寺の多い街中で幼少時代を過ごしている。その後幾多の変遷を経て現在の町田に一族郎党と供に平和な人生を送っているのであるが、その経歴には不可思議な部分が多い。そのミステリアスなところについては、このわたくしめがいずれ調査し実録として上梓したいと考えているのであるが、そんなことを考えているあいだに、みたらし団子の出来上がりである。醤油ダレが香ばしく絶妙に日本の味をかもしだしている渾身の一品であった。実に美味しい。
彼、テール氏とは最近よくキャンプを供にしているのであるが、料理の腕は超一級である。その秘密についてもおいおい調査する予定である。
奥さんのえっちゃまんさんも、ケーキだタルトだとデザート作りが得意であり、わが家のキャンプスタイルにきわめて大きなインパクトを与えたのである。
キャンプでこのようなデザートを作る人に初めて会ったのは、去年の第一回乗鞍オフであった。くどいようだがその模様は「mIKEの乗鞍オフ記」を参照していただきたい。
ともあれ、この不可思議な家族がまだ勢揃いしていないことが不幸中の幸いであった。この家族には人をも畏れぬ元気一杯のヤンマー兄弟がいるのである。今日は学校の運動会で遅れて参加なのである。
ピリピリとまた電話が鳴った。
「もしもしmIKEさん?やっちゃんだけどお。いま駅なんだけどお、これから行くっておとうさんに言ってくれる」
「ああ、ヤンボーか、そお、運動会終わったの、いまどこ、え?町田?駅なの?ちょっと待っておとうさんと替わるから」
噂をすればであった。さてこれから賑やかになるぞ。
わが家のマサキとタクヤはそれぞれ勝手に遊んでいる。マサキはミニ4駆のコースを芝の上に広げ、中村さんちのタカシ君、ライダーさんちのユウタロー君とレースに夢中である。
今回、オフにミニ4駆コースを持って来るに至った経緯は省略するが、テールさんのSTの中に2つのコースがセットされたコース場は、他キャンパーの注目を集めていた。
まるいささんちのチャーくんもおにーちゃん達と一緒に遊びたい。さかんにコースの中に入りたがっているのであるが、おにいちゃんたちはコースの中に入って来て蹴ったり踏んだりするチャーくんが邪魔なのである。ついにSTを閉め切ってしまって、ちゃーくんを外に出してしまった。
チャーくんは泣くでもなし騒ぐでもなく、STに体当たりをしたり、べたっとスクリーンに張り付いて中を見ている。子供の社会も大変である。
タクヤはかき氷を食べたり、鯛焼きを食べたりしている。タクヤはおにいちゃんには体力的にもかなわないので、同じ遊びはしない。ミニ4駆も持っているのだがレースではおにいちゃんにかなわない。だから我が道をすすんでいる。川があればすぐに飛び込む犬的な性格の持ち主でもある。
そうこうしていると、ぼくらのサイトに軽自動車がトコトコと入ってきた。中に人の影が二人見える。よく見るとどうも年輩のご婦人の顔がみえる。普通のキャンパーが間違って来てしまったようだ。
「あのお、サイトはどちらでしょうか」
「ええと、管理人さんには会ってこられました?ここは今日は貸し切りになってて…」
「あっ、あのお、聞いてきたんですけどお、えとですね…」
「ですから、たぶんなにか間違えていらっしゃるんじゃないかと…」
「あ、あのう、白嶺なんですけど」
「えっ?」
「あっ、あああ、あの突然なんですけど母もついてきてしまったんで」
「こんにちは、いつもお世話になってます、母でございます」
「ああ、おかあさん?で、白嶺さん?、ええーっ…。す、すみません、ぜんぜん判りませんでしたよ。どうぞどうぞ、あっちのほうにみんないますよ」
というわけで、突然の母同伴の白嶺さんの登場であった。おかあさんは、うちの子がいつも行っているキャンプにどうしてもついていきたくて、今日はおしかけてしまったんですよ、とにこやかに話していた。この子の父もわたしも昔からキャンプが好きで、よく家族ではキャンプには行ってました。最近は少なくなってたんでねえ。
白嶺さんとお母さんは、なかよくテントを設営し始めた。
続いて登場はミルノ氏だった。銀色のワーゲンユーロバンである。
「どうも、ミルノです、あ、どうも、あ、どうも」
みんなに挨拶を怠らないのである。ウフフフという感じでいつも笑っているおくさんが会釈している。
同類は近くにということで、CMWさんの真っ赤なワーゲンの隣に並んで設営することにした。キャンパー談義に花がさいているもようであった。
さて、屋台村ではシェスタさんが、プラスチックの容器にきれいに三色寿司を盛りつけていた。三色の中味は、サーモン、鶏そぼろ、玉子である。聞けば寿司酢を忘れたという話である。容器は10個用意してあったのだが、ご飯の量はひたすら多く、隣の大皿には山盛り三色寿司も盛り合わせられている。
みな、これらのお寿司を眺めてはしばし観賞していた。
そろそろ日が傾きはじめ、空がうすオレンジ色に光り始める頃、最後のメンバーかずぱぱさんが登場した。ごついルーフラックを取り付けた旧型パジェロである。かずぱぱさんは地元静岡のFCAMPerである。たちまちのうちにドームテントとスクリーンテントを設営してしまった。
ようやく全員揃ったところで、まあ、一つの儀式というわけで自己紹介を行った。屋台村の前に全員輪になり順繰りに始める。mIKE家、ライダー家、ミルノ家白嶺母子、テールウォーク氏、まるいさ家、かずぱぱ家、CMW家、石川家、ぢゃぶ父子、梅父子、GONBEさん、中村さん、最後にRIDE氏、という順であった。みんなきまじめにご挨拶である。
この後テールさんは妻子を迎えに行き、今日のメンバーはすべて揃った。
さあて、いよいよ屋台村は本格的に開店するのだ。全員スタンバイだ。
mIKEの富士オフ記 屋台村5
(14) 96/06/18 23:25 01882へのコメント
□□ 屋台村輝く
屋台村では、前述の三色寿司を皮切りに、次々といろいろな食べ物屋がオープンした。ぼくが食べたものをとりあえず列記してみよう。
三色寿司、これは前述のシェスタさんの力作。プラスティックの容器を採用したところが秀逸。寿司酢を忘れたのはどちらのせいか、互いににらみを利かせるご夫婦である。とろいわしのオリーブ煮、これもシェスタさんのお得意料理。玉ねぎ切りはキレットさん。はたして期待通りの味にできたかどうかは玉ねぎ次第よ、という話しであった。
焼きそばはGONBEさん。大人用にピリ辛味に仕上げてある。その味付けの調味料は秘密のベールに包まれていてだれにも判らない。鶏の燻製も同じくGONBEさんの作品。朝駐車場に着いたときから干し網の中で乾かし始めたという渾身の作品である。味はほのかに塩味がついており、ビールのつまみに最適であった。
枝豆はMAMIさん提供。主に子供達のおやつと化した。同じく焼き鳥は店長MAMIのもとにいつの間にやらライダー亭店員から鞍替えしたRIDE氏が付き従い、CMW氏提供の名古屋コーチンも含めて、塩味で仕上げていた。出来上がるそばから食べていくMAMI店長の姿も圧巻であった。
キクラゲの鍋は白嶺さん。だしの利いた和風薄味のつゆに、キクラゲ、白菜、つくねなどの入った伝統的な日本の味。いくら飲んでも食べても飽きのこない味作りは、さすが人生だてに長くやってないわよ、という母の自信作でもあった。
焼きハマグリときたら中村さん。中村さんのところでは大抵網焼きがディナーを飾る。定番の手羽餃子は注目を集め、しばし作り方の議論を呼んだ。
とんちゃん焼きはまるいさ亭。炭火であぶり網で焼く。豚の臓物である。味噌で味付けしてあり、中部へいったら一度は食べてみたい地元民推薦の一品である。これが牛ならば、こてっちゃんである。ラムチョップの燻製もおなじくまるいさ氏。ラムチョップを秘伝のたれに漬け込み。少し火にかけた後燻煙する。表面が艶やかな燻製ができあがる。昨年の乗鞍オフで見事燻製大賞を獲得したスペアリブの燻製と同じ製法である。
かつおのはらも、しらすの釜揚げ、黒はんぺん、さびコンブ、はかずぱぱさん提供の品々。鮮度が決め手のこれらの品はさすが地元ならではのなせる味。しらすの釜揚げなどは、いくら食べても食べられる。黒はんぺんはおでんに良し焼いて良し、そのまま食べても良しの三拍子そろった味であった。
カレーはミルノ氏の作品。ぼくは特注の激辛カレー。激しく辛い最初の一杯を汗を滴らせて食べるが、もっと食べたい。しからばというわけで、更に辛さを倍増、いや3倍増。汗か涙かため息か。ただもう闇雲にスプーンを動かす。しかしまことに奥の深い良い味で、最初のうちは本当にこんなことしていいんですかあ、といっていたミルノ氏と奥さんももはや言葉もなく見つめていた。
ライスはテール氏の作品。これはタダの白米であるが、釜で炊いたところに意義のある充実した一品。ふっくらとしてツヤツヤ。粘りがあって甘くて。かつて日本のお母さんはみなこんな味のご飯が炊けたかと思うと涙が止まらない思い出の作であった。
ラーメン(これは翌日食べた)もテール氏の作品。スープと麺は別々に仕入れたプロの味。なぜかテール氏の周辺にはプロの道具、食材がちらつく。ただのサラリーマンとは思えない。興味ある設定である。ちなみにチャーシューは前日から作成にあったていたmIKEの作品。実に品の良い作品であったと思っているのはただ一人。
最後におでん。mIKEの作品。前日からの渾身の仕込みと気合いのこもった絶品。なにせ牛スジなんてのは水から煮込んである。調理時間が違うのよね。さらにRIDE氏提供の鎌倉駅前の蒲鉾屋から仕入れた、はんぺん、薩摩揚げ、それからなんだか名前もわからない練り物がさらに奥行きある深い味わいを作り上げた、屋台村の代表作であった。
きっともっとあったと思いますが、もう食べ切れないのである。
そのほか、例によってビール、お酒、ワイン、ウイスキーが乱れ飛び、ぼくはうかつにも泥酔い街道にまたも足を踏み入れていくのであった。
そろそろ辺りも暗くなってきていた。ぼくはみんなにランタンを一斉にあらん限り点灯してくれるように頼んだ。
屋台村のタープのポールすべてに一灯づつ。テーブルの上にも配置。ガソリンありガスあり電池あり。みごとなまでの光量だった。
オレンジ色の光によって屋台村の輪郭が暗闇に浮かんでいるようだった。まわりの暗さがかえって強調され、ぼくらの屋台しか見えない。そんな感じだった。ときおり近くにある水場にやってくる人たちが、なんだなんだ、とか、すっげーなどと囁きながら歩いていた。ぼくは、屋台を設営したサイトの隣の土手の上からその様子をながめていた。
テーブルを囲んで談笑している人たち。駆け回る子供達。湯気の上がる鍋や七輪。うん、いい景色だ。
台湾に一度行ったことがある。高雄という港町だ。ここには屋台が連なって店をだしている通りがあるので、つとに有名である。
台湾の人たちは大人も子供も夜になると街に出て屋台で食事をする。亜熱帯の気候は人を夜行性に変えたらしい。日が暮れてからでないと暑くて出歩けないのである。だから通りは真昼のように明るく、いつも多くの人で賑わっている。
屋台の出物は変わったものが多い。食べ物が主流で材料の種類もいたって多い。ラーメン。餃子。焼き鳥。丼ものの一膳飯にはいろんなものをのっける。さらに、カエル、ヘビ、カメ、豚の鼻、耳、舌、昆虫。曰くゲテモノの類が引きを切らさず、目を楽しませてくれるのである。そこにあるのは食欲に支えられた旺盛な活力みたいなものだった。
これらの屋台に心がくすぐられた。子供の頃縁日に行って、参道に連なる出店を見て興奮したころの思いでと似たような感覚。ただ人混みやお祭りの騒がしさが好きなだけなのかもしれないけれど。
そのときと同じ気持ちだった。とても懐かしいものに触れているような。
ぼくらの屋台村のタープの下でも、いろんな人が輪を作りまた別の輪に入ったりしていた。
ミルノ夫妻やかずぱぱ一家は寄り添うようにテーブルを置き、時々みんなの訪問を受けながら、楽しそうにしている。
白嶺母子は奥さん達の井戸端会議の輪に加わって時々みんなで笑っている。石川さんMAMIさんと、GONBEさんCMWさんぢゃぶさんテールさん中村さんキレットさんがオフの事を話している。えっちゃまんさんとヤンマー兄弟はまるいさ家の近くで食事をしている。けむたまさんちのアスカちゃんは長いお昼寝の後起き出してきてちょこまかとテーブルの間を歩き回っている。ライダーさんRIDEさんけむたまさん梅さんまるいささんがグッズの事を話している。
ぼくは、そんなみんなのところをうろついては、片手にビール、片手にお酒の入ったシェラカップで乾杯をしていた。なにを話したのかは覚えていない。
でも、気がついたときは、たぶん24時に近かったと思う。もうあの絢爛たる明かりの洪水は消えており、2〜3本のランタンが薄く輝いているだけだった。みんな約束通り22時には明かりを落としてくれていたのだった。
寒かった。ぼくはオーバーをいつの間にか着込んでいた。そしておかーさんに腕を抱えられて自分のテントに戻った。
いつもの朝だった。頭がズキッと痛む。一瞬ここはどこだっただろうかと考える。陽が昇ってくるにつれテントの中が急に蒸し暑くなる。隣に寝ているはずの子供もおかーさんはもはやいない。遠く離れた屋台村の方からは話し声が聞こえてくる。
「おはよう、ございまーす」
「おや、mIKEさんいまお目覚め?マサキくんは5時から公文の勉強してましたよ」
「そう、親の指導がいいから」
「おはよう」
「ああ、ライダーさん、コーヒーある?」
「ありますよお、いまいれたばっか」
「mIKEさん、なにやっとるのお、ほれっ」
「ううっ、ビッ、ビール、かあ、いただきます」
「白嶺さんところのスープ飲むと胃壁にいいよ」
「そお?じゃ、白嶺さん、スープちょうだい」
「はいはいどうぞ、あのそれからこのお肉もよかったらどうぞ」
「むむっ、串焼きですな、どれどれ、ううむいける」
「mIKEさん、うどんもあるよ」
「おお、これはGONBEさん、ううん、いい匂いですなあ、ツルツル」
「mIKEさん、焼き鳥やいとるでねえ、はよ食べよ、それからビールも死にきり飲まな、だちかんて」
とにかく朝から大変なのである。
記念写真を撮影した。富士山がとてもきれいにそびえており、あいかわらず麓の方から優しい風が吹き上がってきていた。
子供達はここから車で5分ほど下ったところにあるローラー滑り台に遊びに行くことになった。中村さんの車のカーゴルームに次々と子供が乗り込んで出発していった。
「ほりゃあ、滑り台に行く子はみんなはよう乗らなあかんぞ、おいてっちゃうぞお」
「乗ったよー、いいよー、じゃあねー」
この後、しばしサイトには静寂が訪れたのであるが、子供の喧噪が無くなったからか、中村さんのでっかい声が聞こえなくなったからなのか、理由は判らなかった。
朝食後のひとときはみんなイスに腰掛けながら雑談を交わすという風情だった。GONBEさん、RIDEさん、ライダーさん、けむたまさん、石川さんは無線談義に花を咲かせていた。
ぼくはもっぱら息子のマサキが木に引っかけたブーメランをとろうと四苦八苦していた。
コットでお昼寝はキレットさんだ。かずぱぱさんちのスクリーンテントは洗濯物がたくさんたくさん干されている。ふーっと気持ちが軽くなるような風が吹き抜ける。
時間は今日の日差しみたいにじりじりと進んでいくような感じだった。
お昼になり子供達が帰ってくると、またひとしきり騒がしくなった。一緒に行ったかずぱぱさんやぢゃぶさんも戻ってきた。
GONBEさんがチャーハンを作る。えっちゃまんさんがケーキを出す。ラーメンもある。焼き鳥もある。ぢゃぶさんはせっせせっせとたこ焼きを焼き始めた。これがまたうまい。おおいビールもって来てくれ。チーズも入ったチーズ焼き、これがまたいい。おーいビールなくなったよお。
またも屋台村の残党どもが跋扈した感じもあったが、やっぱりなんとなく意気が上がらないのは、もう帰らなくてはならないからだ。
みんなじょじょに片づけ始めている。石川さんはもうすっかりテントも収納してしまった。それにつられてみんな撤収を開始した。
最後にもう一度だけみんなに集まってもらって閉会宣言をした。またやろうよという声が聞こえた。そうだね、またやりたいね。屋台村を。
それから、一台また一台と帰る車に手を振ってお別れをした。
【富士】オフは終了した。
あとがき
ようやくオフ記が書けました。【富士】オフに参加されたみなさん、どうもありがとうございました。
ぼくの記憶はこんなものです。まだまだ記録としては不十分でしょうが、これも一つの思い出としてアルバムの写真とともに綴じておいて下さいますか。
あの時話にでたお月見もできたらいいなあ、とまた思うようになりました。みなさんにお会いできるのを楽しみにしています。