□□ 95年8月
伊良湖から鳥羽へわたる観光フェリーの所用時間はおよそ50分。乗客は思いのほか少なかった。振り返ると、水面の泡が出発した桟橋までずっと続いていた。風はほのかに涼しく、遠く建物が蜃気楼のように揺れている。
8月に入ると、暑さも本格的になり、ぼくたちは陸に上がったカッパよろしく、ますます高まる気温に息もたえだえになっていた。今日から3日間、志摩半島の先端にある御座白浜に、海水浴をかねてキャンプに行くのである。ぼくも子供達も、塩っぱかろうが、酸っぱかろうが、もう水ならなんでも飛び込んでしまいたい、という気持ちが一杯で、やたらそわそわ、わくわくしてしまっているのだった。
途中、和具町の真新しいスーパーで買い物をすることにした。目当てはもちろん松阪牛である。わが妻の今回の楽しみと言えば、地元で安く買う高級肉のバーベキューなのである。
「どんなものだって、地元で買えば絶対に安いのよ」
というのが、彼女の強い信念である。さて、見渡すと、ありましたよ、お肉やさんが。しかも松阪牛コーナーまでちゃあんと。どれどれとのぞいたわが妻の目つきがいつもに増してするどい。ややあって、彼女が決意をこめてささやいた。
「安いわよ。グーよ。買うわよ」
その心を見抜いたかのように、カウンターの奥の店員が一言。
「おくさん、今ならこの価格から3割引きますよ」
えっ、その言葉に、おもわずぼくもたじろいだ。な、なんでですか、と聞けば開店大売り出しなのだそうだ。ここへ来るまでは、ちょっと贅沢だけど、松阪牛だもの一人100グラムくらいは、大事に大事に食べようね、などと言っていたのであるが、そんな事などいっぺんで忘れてしまった。放心状態から返ってみると、ぼくの両手にはずんと重い紙包みが手渡されていたのであった。一生に一遍くらいの贅沢ね、それに明日はおとーさんの誕生日だものね。そう言って明るくわが妻は笑うのだった。ぼくは、帰りのフェリーの切符が買えなかったらどうしよう、などと心配していた。
半島の先端に近づくにつれ、道はますます狭くなった。
車一台がやっととおれる道をくぐり抜けると、目の前には、文字どおり青い海と白い砂浜がひらけたのだった。
「すっげーっ!」「きゃっほっー!」「やったーあ!」
みんな大喜びである。
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キャンプ場すぐ横のビーチ
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やってきたところは、志摩観光農園キャンプ場である。御座岬の高台にある果樹園を母体とするキャンプ場だ。
トーテムポールの立つ入り口を入り、高台にあるロッジ風の建物に向かう。ロッジではチェックインをする人の列が出来ていた。振り返ってみて驚いた。実に本当にきれいな白浜海岸が眼下に見おろせるのである。弓ぞりになった海岸線と青い海、まばらな人影、パラソル。これが夏だ。夏の色だ。
指定されたサイトは、崖下のオートキャンプサイト。車乗り入れ禁止のサイトは、高台の眺望の良いところにあるが、わがサイトは入り口を入ったすぐの、いわゆるひとつのグラウンドである。そこに7m×7mに区切られたサイトが整然と並んでおり、中心部にキャンプファイアー用の薪が組んで置いてあった。もちろんここからでは海は見えない。
すでに満杯状態で、ぼくたちの直前に入ったキャンピングカーの人たちが、タープなどを広げているところだった。
もう水を見てしまって興奮状態にはいっている子供に海岸までの道順をおしえ、子供達だけ先に海に行かせた。浮輪やゴーグルを持ってすっ飛んでいく子供を見送り、設営に入った。
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区画に対して斜めにタープ
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狭い。タープが張れない。ぼくのヘキサウィングはでかすぎる。しかたがないので、あれこれ考え、タープのセンターラインを区画の対角線に合わせて、斜めに張ることにした。それでも張り綱はぎりぎりに立てるようにしないとだめで、カンカンと照りつける太陽の下であれこれやっているうちに、頭から水をかぶったみたいに汗だくになってしまった。
テントを区画の隅一杯のところに押しやるようにして、ようやくテーブル3本とコンロを置くスペースを作り終えた。頭は熱さのせいで、ボーッと吹き上がっている。ビッ、ビッ、ビールくれー。もうこれしかない。は、は、はやく海辺に行こう。つ、つ、冷たいの持って。
ふらふらと、かすむ視界に映る小道を確かめながら、キャンプ場から浜辺にでた。も、も、もうだめ。よし、いくぞ。リングを確かめて、グッと起こす。プシュゥ。いい音だ。持つ手が冷たい。このためにキンキンに冷やしてきたんだ。腰に手を当て、いくぞ!
んぐ、んぐ、んぐ、んぐ。ぷはーっ。うーっ、うまい!思わず腰から力が抜けて、へたり込んでしまった。はぁーっ、生きてて良かった、そう思える一瞬である。
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きれいな水で遊ぶ |
しっかりとサンオイルを塗りこんで、頭には麦わら帽子、あごに紐をきりりとしめて、海に入っていく。渚にはほとんどごみが浮いていない。水は透き通っていて、ゴーグルをしていなくても底が見渡せる。20mもすすむとようやくつま先立ちになる程度の遠浅の入り江である。
この浜の位置は、御座岬が熊野灘の荒波を背中でがっちり受けとめる防波堤の役目をし、その裏側の、まるで両手でそっと取り囲むようにしたようなところにあるために、まったく波が無く、水の流れもほとんど感じられないのである。
浮輪につかまってプカプカしていると、昨日までのあわただしさが嘘のように感じられた。あーっ、ちょっと不安だったけど来てみてよかったな。
空の色がだんだん青から赤紫にかわっていく。高いところにある雲がオレンジ色に輝いている。浜辺にいた人たちもパラソルをたたみ、ぽつぽつと帰っていく。さあて、われわれも戻るとするか。
浜から、キャンプ場へ戻り、シャワーを浴びる。シャワーは男女ともに4室づつ用意してあり、いつも無料で使えるのがありがたい。
サイトにもどり食事の用意を始める。さて今日は松阪牛の網焼きだ。七輪に炭をいれ、特製のテーブルにセットする。このテーブルは来週行われる乗鞍オフで燻製をつくるために、こしらえたやつだ。
炭に十分火が回るまでの間にご飯を炊く。適当にコッヘルで炊くのだが、けっこう美味しくできるのである。
炭に火が回り、さてこれからいよいよお肉を焼こうか、なんていっていたとき、一つ向こうのサイトの女性が、あのー、と言ってやってきた。
「あのー、これ、さっき潜ってとってきたんでー、食べてもらえませんかあ」
見れば、小粒なれどれっきとしたサザエである。数も結構ある。
「えっ、いいんですか、こんなにもらって」
と、彼女のテントを見やれば、フィアンセとおぼしき若いおにーちゃんが、どうも、と言う感じで、かるく会釈している。
「どうもすいませーん、いただきまーす」
予期せぬサザエの壷焼きに続き、全員固唾をのんで見守る中、ついに松阪牛の網焼きが始まった。みんな声もなくただひたすらもぐもぐ、じーっ、もぐもぐ、じーっ、を繰り返している。このじーっ、というのは、みんなの目線の音である。
この日のこの時のために、わが妻はここにやってきたと行っても過言ではない。彼女はもはや至福の表情を浮かべている。
「おいしい、わよ、おいしい」
さっきからそれしか言ってない。
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松阪牛の網焼き |
ぼくは、サザエの壷焼き辺りで早くもビールとワインが利いてきていた。時折、タープをブワッと膨らます風がやってきていたので、サイト周辺は暑さが薄れ、とてもしのぎやすくなっている。
なんとなく周りを見回すと、みんな似たような事をやっている。首に手ぬぐいをかけたおとーさんが、バーベキューグリルの前にしゃがみ込んで、手渡しで焼けたお肉を子供達にわたす。おかーさんは、ホホホ、わたしは、きょうはなーんにもしませんからね、おとーさん、責任もってぜーんぶやってよね、というような感じで、慣れないチェアに深々と腰掛けているのである。
その夜、ランタンを持って、暗い浜辺にでてみた。小さく渚を濡らす波の音がし、遠くにチラチラとあかりがゆれていた。
「あっ、ほらおとーさん、あれ」
その声に導かれて海に視線を移した。まるで海から打ち上げられているかのように見える。打ち上げ花火である。どこかの町のお祭りだろうか。とてもきれいに見えるのだった。ぼくたちはしばらくこの花火を遠く見つめていた。