□□ 96年1月14日 『星はなんでも知っている』
95年の夏から秋、冬へとキャンプの仲間との交流は続いていた。いまでもあの時のエネルギーがどこから沸いてでてきていたのか不思議に思うことがある。
パソコン通信という新しいコミュニケーション方法が社会を激変させていく、まさにその中に居る興奮。これまでの自分の枠を超えたところにいる、同じ嗜好を持つ未知の人々との新しい交流。その魅力にとりつかれていたのだと思う。
このときのキャンプのことは、いまでも時々思い出す。
また新しい仲間との出会いだった。
朝5時、ぼくは音を立てないようにそっと身支度をし家を出た。息が真っ白く凍る。
軽くアイドリングしてシフトレバーをドライブレンジに入れる。アクセルを踏み込まなくても2.4リットルのエンジンは2トンの車体を楽々と動かしていく。
中央高速に入ると、スキーを積んだ車がびゅんびゅんと追い越していく。明日は成人の日で休日。ぼくは本栖湖に向かっている。
河口湖インターをでる。道はところどころ真っ白に凍っていた。
ラジオの天気予報は今日の午後から天気は下り坂になる、と伝えている。これで雪でも降ったらやばいな、と不安になる。どうしようかと思いながらも、青木ヶ原樹海を突っ切るまっすぐな道をそろそろと下って行った。
本栖湖を周回する道には夜明けの富士をとらえようとするカメラマンが列をなしていた。
中之倉トンネルの手前を左に入って少しいくと、セントラルロッジ浩庵という建物がある。ここで受付をする。申込書に記入した。ぼくの前に来た人の申込書が目に留まった。ELVISさんはもう来ていた。
キャンプ場までの急坂を下るとルーフに荷物を積んだ紺色のセダンが停まっており、そのかたわらでスクリーンテントを立てている人がいる。車からおりて近づく。
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ELVISさんのスクリーンテント
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「mIKEさん、こんにちは。あけましておめでとうございます」
「あっ、はっ、はい、あけましては、おめでたい、でござる」
ぼくは、ELVISさんを前にすでに緊張しまくり。
ELVISさんとぼくとは、これまでの仲間と同じように、富士通の提供するニフティサーブというパソコン通信のキャンピングフォーラムというコミュニティ(以下FCAMPと表記します。読み方はエフキャンプ)のメンバーになっていた。
FCAMPには20にカテゴライズされた会議室というものがあり、メンバーは自由に会議室にコメントを書き込むことができた。
他のメンバーが書き込んだコメントを通信ソフトでダウンロードする。ダウンロードされた通信記録(ログ)を読み、興味のあるコメントに対して自分のコメントをアップロードする。こうしてニフィティサーブ内のデータベースを更新しあいながら、会話を行うように他のメンバーとコミュニケートする。
20あるうちの会議室のうち、14番にはキャンプの記録を自由にアップロードして、メンバーに読んでもらうことを目的とする会議室があった。ぼくがその会議室に興味を持ったのは、ハンドル名をELVISと称し、軽妙な語り口で面白おかしく自分のキャンプの様子を書き込んでいるひとを発見したからだ。
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パソコン通信の会議室はこんな感じになってました
画面はぼくのMacの上の読みとりソフト『茄子R』
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しばらくしてぼくはELVISさんとFCAMP内で友達になった。
当時のパソコン通信は、オフラインミーティング(オフ会)を通してバーチャルな人間関係からリアルな人間関係に移行していくことが流行っていた。ごたぶんにもれず、ぼくもこの当時オフ会によってFCAMPにのめり込んでいったのである。現在のぼくのキャンプ仲間の多くは、FCAMPつながりだ。
で、ELVISさんである。ぼくが当時師と仰ぎ、自らも「アウトドア日誌の巨匠」と断じていたそのご本人と初めてキャンプをするのである。こういうときって、やっぱり人間、緊張する。
師は、紺色のトレーナーにベージュのダウンベストできめている。足下をみると茶革の本格的なウォークブーツである。ぼくはとみれば、ネルシャツの上に、おかーちゃん手編みの毛のベスト。靴はもう7年以上もはいている、ところどころ穴のあいたアシックスのズックである。
「そうそう、ABC BASE(エービーシーベース)さんたちも来ているから紹介しましょう」
えっ、あの関東にあって、知っている人は知っているというあのABC BASE大先生が、ここに、このキャンプ場におられるのであらせられるのでありますのですか。
ABC BASEさんというのは、FCAMPの中でも重鎮族に分類され、多くの新人メンバーを統率し、コメントは少ないものの、その行動が多大な影響力をもった当時にしてすでに伝説的な人物の一人であった。
そんな重鎮を目の前にし、ぼくはますます緊張していくのでありました。
「はっ、はのお、みみみみ、みけけけけけ、mIKEであります、いごよろしゅうおたのもうします」
「よしよし、これから君も苦難の道をあゆんでゆくだろうが、こころしてわれわれ先達の後についてくるよろし、明日はうどんもおいしおいしあるね、ABC MIEくん家族もきたある、ついでに猫も来た、ぼくの奥さんここにいる、とてもきれいきれい」
聞けば、彼らは昨日からすでにキャンプしており、昨夜はけっこう冷え込んだということであった。
寒さ対策のためにロッジテントのアウターだけを建てて小部屋とし、携帯式のストーブで薪を燃している。外はキリキリ酷寒の冬。中はポカポカ北国の春。なるほど、こうすりゃ冬でも平気なわけだ。
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奥にあるのがロッジテント小部屋 左側に煙突が出ているのがわかる
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その小部屋の中から奥さん達が、こんにちは、というように軽く会釈をしている。雰囲気がいい。セレブだ。わが妻にもこういう成りをさせてやりたい、ちょっとだけそんなことを思ったりした。
ぼくは、ELVISさんのスクリーンテントの横に自分のテントを張ることにして、ゆっくりと作業を開始した。なにせモンベルの7人用テントだ。でかい。
一人なのにこれ張るのぉ?でかいんじゃない?、かえって寒くないかなあ、mIKEさん一人寝じゃあ。
いやあ、そんな事ありませんよぉ、といって笑うのだが、内心穏やかではない。いつもなら横に手をさしのべれば身体をあたためてくれる最愛の妻かおりさんがいるというのに、きょうは一人で、しかもこんな辺鄙なところまで来て。独り寝の子守歌なの。でも、もっと小さいのを張ろうにも、ぼくにはこれしかないんだもんね。
でかいテントを張り終え、中にマットを敷きシュラフを出す。準備はできた。これでいつでも寝られる。
ぼくの場合、寝られる場所だけは事前にきっちり確保する。そのように身体が動く。でないと、酔っぱらってどこかで凍え死ぬ。マジで。ぼくの頭脳が本能的にとる専守防衛行動である。
さて、テントも張り終え、ココロ静かにELVISさんと会話などしておりますと、なにやらゴウゴウというエンジン音を林間にこだまさせながら、一台のトヨタハイエースが入場してまいります。
はるばる豊田市からやってきたパワー喋るさん一家のお出ましであります。助手席には奥さんの姿が見える。手を振ってお迎えする。
「いやーmIKEさん、東名が工事で通れぇせなんだもんで、あきらめて牧の原で寝とったら、まるっきりおそうなってまったわ。あっ、これがうちのかーちゃんだで、よろしくたのむわ。今日もちゃんとご献上の品もってきとるでねえ、ほれ、これが司牡丹、こっちの純米吟醸もいけるでねえ。ELVISさんとmIKEさんと一緒ならこれくらいは、すぐ飲めるでしょお。さっそく荷物おろさなあかんが、どこがええかなあ」
彼のでかい声が響き渡る。
パワー喋るさん、もちろん本名ではない。良く喋るのでこの名前がついたという話があるが、本当は自分でつけたらしい。パソコンの文字変換で「パワーシャベル」と打とうとして偶然でてきた。あまりに自分の事を的確に表現しているので、自分でも気に入ったらしい。
彼のでっかい声はどこにいても聞こえてくる。普通、キャンプ場では人の声というのはボソボソと聞こえる程度なのだが、彼の場合は一キロ四方まで充分到達する。これは北海道などの山中キャンプで威力を発揮するであろう。
パワー喋る氏はパソコンを購入し、ようやくパソコン通信に本腰を入れようとしているところだが、キャンプ歴のほうはぼくなんかよりもずっと長い。
道具ひとつとっても年季が入っている。炭火関係にかけては他の追随を許さない。七輪がことさら好きである。焼けばなんでも美味しくなることを知っている。焼肉に使う鉄製のプレートは道路工事で使う厚さ19ミリ重量800キロの敷鉄板を切り出したものである。美味しいものを食べるためなら寸暇を惜しまず道具を探す。信念の人である。
パワー喋る氏は今日は日帰りだという。
「あしたの仕事がなけりゃあ、そんなもんぼくだってずっとこうして飲んどりたいけど、ほれ、あれ買っちゃったもんで、まじめに仕事やりますって誓いをたたせられちゃったでねえ、東名三好に朝7時までに着けりゃあいいんだけど」
あれ、というのはパソコンのことである。
「ほんとにねえ、いままで使ってたワープロだってあるのに、そんなもん買ってどうすんの、って聞いたの。そしたらFCAMPで使うっていうじゃない、ひともんちゃくあったんですよ、ほんとに。前の機械買うときだって、これ買ったら家計簿つけられるぞ、とか調子のいいこといってたの」
実は時代遅れのワープロなんかに見切りをつけ、パソコンを早く買えとすすめたのはぼくである。ぼくは黙って聞いている。
パワー喋るさん夫婦は、そんなことをでっかい声で話しながらも、炭火の上で粒のそろった蛤を焼き始めている。でっかい声に誘われて、ABC BASE、MIE、ELVISの各氏達もやって来た。
「んじゃあ、まずみなさんの揃ったところで、乾杯」
ビールで乾杯をする。つまみは焼き蛤やイカの塩辛、ビーフジャーキーに柿の種、という具合、たちまちのうちにテーブルに並べられていく。まだ午前10時半である。
あたりはすっかり晴れて、富士山が真正面に見えている。本栖湖畔では、ぽつりぽつりと釣り人が竿を振っているのが見えている。のどかな湖畔にあいかわらずパワー喋る氏の声が響いている。
「mIKEさん、何年生まれ?ぼくはそれが気になってたの。えっ、ああ、30年、そうでしょう、だったら今年は本厄だでね、今年は。ちゃんと厄払いしといた方がいいよ、これ見て、これ」
と、パワー喋る氏は目にもまぶしいウィンドブレーカーの背中をくるりと反転させて見せてくれる。背にはなにやらアルファベットで、うまひつじ会だか猿猫会だかという文字がならんでいる。
「ぼくもことし厄年だからねえ、こうしてちゃーんと仲間で厄払いやろうとしとるの」
「ほんっとにこの人のこういうところだけは感心するのね、信心深いっていうか、おせっかいというか」
「こういうところだけってことはないでしょ、毎日ちゃんとはたらいとるでしょお」
「でもね、おとーさんとキャンプにくるのは好きなのね、わたし。だってほんっとになんにもしなくてもいいから。全部やってくれるからね」
「それがホンネだらぁ」
なんとも仲の良いご夫婦。ぼくらはこの後も次から次から飛び出すパワー喋る夫婦のなれそめ談義を聞き、パワー喋る氏持参のとんちゃん焼きを肴にして、ビールをおかわりしていった。
もう一人の客人が登場した。日進市から駆けつけたライダー氏一家である。
おお、ライダーさんがきたぞ、おお、酒も一緒のはずだぞ、おお、風も強くなってきたぞ。などと言いながら皆でお出迎えをした。
ライダー氏は正月の家族旅行の帰り道、信州の蔵元に立ち寄り銘酒を手に入れたのであった。そして何事にも万全を期す彼は、それらの生酒を家のサブ冷蔵庫に厳重に保管し、そしてこれを飲むタイミングを計っていたのである。
そんなおりもおり、ここ浩庵キャンプ場で「アウトドア日誌の今後について考えながら、おでんと熱燗をきゅうううううっと一杯やって、『見上げてごらん夜の星を』を歌う会(ELVIS氏談)」が開催されることとなり、目よりも鼻が利き、花よりも酒を愛するというmIKE、ELVISの聞きつけるところとなって、なかば強引、今日のオフ会に引っ張りこまれたのであった。
冬のキャンプは苦手というライダー氏であったが、4年間もファミリーキャンプをやっていると、道具は人の3倍以上も蓄積され、自分で作ったグッズも順番待ちで待機中。いつ本番のキャンプで使ってもらえるのかさえわからない。
しかし、まだまだ。まだ備えるべき装備がある。それは冬を制圧すべきものである。彼の本能は留まるところを知らない。気がつけば名古屋キャンパルをはじめとするアウトドアショップを徘徊。気がつけばなにやらディスカウント価格のついた装備類の数々が手の中に。
きっかけが欲しかったんです。はい。うまいこと嫁はんを言い含める口実さえあれば、理解を得られれば、と思っておりました。(ライダー氏後日談)
どうやら、楽しげなキャンプがあるらしい。つねにFCAMP会議室の状況を把握している彼は、14番会議室で不遜な動きのあるのを発見したのである。これしかない。このときを逃したら本物の春が来てしまう。わがココロの春は永久に来なくなる。
ついに冬の装備を出動させる機会がやってきた。言い訳なんぞ、mIKEとELVISのせいにすればよし。行くぞ万難あるとても。めざせ洪庵、富士の嶺。あたり一面冬景色。ココロの中は喜色満面。
ライダー氏は昨年の11月におこなわれた「餅つきオフ」の際に使用した、小川テント製レクタアングラータープの超絶温室、レクタン温室君をここ浩庵でも設営しはじめた。なお、この温室の詳細のスペックは、先の日誌「キャンプで餅つき」を参照していただきたい。
しかしなぜか風が強くなってきたのである。ゴウゴウと吹き抜ける風にレクタン温室君は悲鳴をあげている。張れども張れどもビニルシートははぎ取られていく。
これが設営できなければ、今日の寒さを切り抜けられない。なんのために嫁はんに嘘ついて、を説得してきたのか。なんのために仕事もサボって、死に物狂いでやりきって、アウトドアショップを回ったのか。生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされるライダー氏。
しかし、ついにあきらめた。刃折れ矢尽きた。だめかもしれない。彼の脳裏にいままでの楽しい思い出が一瞬にして映し出されたことだろう。沈黙の時間。
ところが、ライダー氏は突然車の向きを変え、レクタン君をクルマのサイドモールにとりつけ、タープの一方の端を地面にペグダウンした。そして両サイドをビニルシートで囲った。たちまちのうちにクルマの横に居間を出現させた。
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風を避けて設営されたレクタン温室君 みごと
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この妙技。さすが歩くFCAMPログの異名をいただくライダー氏だけのことはある。これくらいの天候変化など、おならのレインウェアなのである(ここ笑うところなんですけど、寒い)。
午後4時を過ぎるころになると、あたりは暗くなった。ライダー氏が持ってきた待望の生酒4種と、パワー喋る氏の献上した酒2種、そしてぼくの持ってきた純米三千盛と計7種の日本酒がずらりと並んだ。いよいよ利き酒大会の始まりである。
順に一口ずつ含んでいく。それぞれが自分の味を主張している。うーむ、ふんふんなどといいながら各自好みの味を探すのである。うーん、これは辛いね、いやいやこれのほうがもちっと辛いね。こっちは甘いな。いやちょっとこちらは辛くて甘いね。いやいや、甘くて辛い。しかし、辛いと甘いとしか表現のできない連中である。お酒に申し訳がないのである。
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ライダー氏のレクタン温室君内部
手作りのフォールディングコタツがあり、ヌクヌク
その上にはこれ見よとばかりの酒
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そのうち、ABC方面から焼酎が差し入れられた。
ライダー邸ではいつものように串焼きが始まった。ぼくの好きな軟骨もでてくる。風はあいかわらず強く、足下を冷たく吹き抜けていく。この時間でにすでにぼくらはいろんなものを食べ尽くしていた。
パワー喋る氏の焼き蛤にトンちゃん焼き、そしてキムチチャーハン。ぼくのつくったなめ茸としめじのスパゲッティ、ライダーさんのにぎり寿司に刺身。生牡蠣だってでてきた。そうそう、ぼくはおでんを仕込んでいたのだったぞ、まだ食べてないなあ。おでんと熱燗できゅーっと一杯が、きょうのテーマと密接に関係しているのに。
美味しいお酒と楽しい会話のおかげで、外の寒さもなんのその。ここは街路の一杯飲み屋。ランタンの灯火暖かく、集いし人も温かく。ざわめきもまた静まらず。
ぼくらのサイトからトイレは遠い。でもこの距離が酩酊状態のぼけ頭にはちょうどいいのである。往復する間に少しは今の状況を思い出すことができるからだ。見上げれば強風に流されて行く雲間から、キラキラと冬の星々が輝いている。おもいっきり息を吸い込むと胸が痛くなる。意識がすこしだけ醒めてくる。
戻ると、あれれ、まただれか来ているではないか。
乱入の達人、とりけん氏とかれのガールフレンドであった。とりけん氏は乱入を旨とし、乱入によっておのが人生を設計しているのである。
東にキャンプする人あれば、うまいものはないかと乱入し、西に新年会する人あれば、せっかくだから一杯よこせと乱入する。
みずから演ずる乱入生活。かれに寄り添うかわいいマキちゃん。彼女の家に乱入したなら許さんぞ。
ちなみに『乱入』とは、オフ会に参加表明しないでおいて、会半ばにして会場になだれ込むという行為をいう。これをやりはじめると癖になり、乱入なくしてオフ会なし。オフ会あれば乱入あり、となって、オフ会幹事も乱入者をちょっと期待するようになったりして、乱入者のほうが多いオフ会なんてものがそのうち蔓延しはじめることとなった。
ELVIS氏が焚き火を始めた。すこし飲み過ぎた頭には外の空気が良いようである。みんなで火に当たりながらビールを片手に、あれやこれやと話をする。
パワー喋る氏が、もう時間だからと帰っていった。もっといればあ、というぼくらの誘惑に負けず、夫妻はそれでも、楽しかったよといいながら去って行った。キャンプ場にシンセサイザーを持ち込み、スクリーンテントの外で遊んでいたパワー喋る氏の愛娘と元気息子はすやすやと眠っている。ありがとう、パワー喋るさん、また一緒にキャンプに行きましょう。
パワー喋る氏の去ったキャンプ場に、ヒューッと木枯らしが吹きすぎていった。あたりはグッと静かになった。
「なんだか妙に静かになりましたなあ」
「屋台の灯りが消えたみたいですなあ」
「寅さんが去った寅やみたいな感じですなあ」
「もうすこし飲みますか」
「もう少し飲みましょう」
「ところで、見上げてごらん夜の星で涙しましたっけ」
「してません」
「どうです、いっちょ、せいだいに涙しますか」
「いいですなあ、でも、どうにもその、涙する気持ちにならんのですが」
「修行の問題ですな、それは」
「なんか悲しいことでも思い出したら涙しますよ」
「うーん、さいふ落っことしたとか、ランタン割っちゃったとか、かなあ」
「まあ、その程度だったら、わざわざ涙する必要ありませんなあ」
「やっぱり、ショバを変えて飲むしかありませんなあ」
「そうだABCさんがギター持ってたから、そいつで酒場の唄でもうたいましょう」
「そうそう、おばけにゃ学校も試験もなんにもないっとくらあ」
「それは、墓場の唄でしょ、」
お粗末。
場所をABC BASEさん宅に移して、アウトドア日誌の将来を語りあおうという会が厳かに開始されたのである。
「どれ、こんなギターだけどいいかな」
ABC BASEさんが少し小ぶりのフォークギターを取り出した。
「じゃあmIKEさん、なんかやってよ」
「ええーっ、ぼくギターなんてしばらく弾いてないから、てきとうにやりますけど、では、さん、しっ」
歌声酒場にぼくの哀愁をおびた静かな歌声が響きわたった。その詩は人の心の扉をひらかせ、そのメロディーは遠いふるさとにいる父や母を思い起こさせる。そして、その声は。
「mIKEさん、なんとなく高田渡に似てない、その声」
「えっ?高田さんといえば、あの、やーやどーもやーどーも、とか、自衛隊に入ろう、とかの、あの、伝説の?今も明大前あたりに出没するとかいう、日本のフォークの神さんが岡林さんなら、日本のフォークの伝道師と畏れられた、あのお人」
「そうそう、ピッタリ」
「いやあ、その、あの、ぼくはその自分としては、もうちょっと美声のウィーン少年合唱団、悪くて最近亡くなった三橋美智也くらいのつもりでおりますが」
「まっ、いいからいいから、じゃあ次はぼく」
ABC BASE氏は華麗にリズムアンドブルースを弾き始める。ぼくが即興の曲で応戦する。気分は憂歌団である。
ELVISさんも弾く。またぼくが歌う。ABC BASE氏が弾く。またぼくが歌う。なんだかぼくばかり歌っているような気がする。曲は60年代フォークを皮切りに古今東西和洋折衷老若男女、とどまるところを知らない。
ぼくの持ってきた品評会特選の赤ワインも水代わりとなって、またたくまに消えてしまった。そして今度はELVISさんのワイルドターキーがお目見え。トクトクトク、ぼくはそいつを自分のシェラカップに注いだ。
一口飲んだ。
……!。いきなり来ました。
ぼくのように酒飲みのベテランになると自分がいつ酔っぱってしまうのかが判ります。はっきりとわかります。だれがなんといっても判るんです。判るといったら判るんですっ。その瞬間がきました。もう駄目だと深層意識がアラームを出してきます。
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意識朦朧、沈没寸前
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とたんに意識が朦朧となってきました。テントの中の暑さも原因です。
ライダー氏も朦朧としている。ライダーママは元気だ。とりけん氏はもうへべれけ状態で絶好調。しかし、けなげなマキちゃんはニコニコ顔。ABC BASEさんもABC MIEさんもその奥方達も元気である。息もたえだえ、いまにも椅子からおちそうな、ぼくとELVIS氏。
「もう寝ます」
とだけ言い残して(そのはずだけど)、ぼくは自分のテントに戻った。
山から吹き下ろす風だけが、とても激しくテントを揺さぶっているような気がした。とても、夜空を見上げて星に涙をささげ、遠い過ぎた日々を思い出す余裕も無かった。シュラフにもぐり込んだ。一気に眠りのどん底に落ちていった。
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そして、目がさめた。あたまの芯がズキズキしている。ああ、これは二日酔いの軽度なやつだ、もう少し寝て水でも飲んだら直る。テントからのろのろと這い出した。すでにまわりでは出歩く人たちの姿があった。
「おはようございます」
「ああ、mIKEさん、おはよう。これがね、ぜんぶ倒されて、ほらここに穴があいちゃった」
なんと、ELVISさんのスクリーンテントが風で全壊していたというのだ。
「ほら、明け方すごい音がしたでしょ」
ぼくは全然記憶にない。
ライダー邸でも少なからず被害に遭ったようであるが、全員無事である。すでに恒例となったコーヒーが立てられているので、まずはこれをいただくことにする。
「おはようmIKEさん、ごきげんは?」
とライダーママである。このコーヒーがいつものぼくの酔い冷ましである。
ここでぼくはライダー氏とライダーママについて少し書いてみたい。といっても、彼らのなれそめとか、初めての旅行の出来事とかではなく、今回のキャンプで発見した事をである。
もし、今後ライダーさん一家と一緒にキャンプをする機会があったら、是非彼らとなんでもいいから少し話をしてみて欲しい。
ひとつの話題についておどろくほど短時間のうちに理解が進むはずだ。それはなぜかというと、たとえばぼくがライダーさんにこれこれなになに、と質問をする。するとライダーさんが何事かを答える。その瞬間ライダーママがさらにつっこんだ相づちを打つのである。こんな風にだ。
「ねえ、ライダーさん、ここまで来るのに何時間かかったの?」
「そうねえ、渋滞があったからなあ…」
「そ、渋滞、ひっどいの、もうどうなるかと思った」
「なにも無ければ…」
「そ、なにも無ければ、早いわね、2時間半くらいでこられるかも。でも今回のあの事故はひどいわよ、あれがなきゃあこんなに到着が遅れない」
「3時間半くらいじゃない」
「そ、そんなもんね、3時間半かかった、大体、昼過ぎになるなんて思ってなかったから」
「ああ、なるほど、今回は事故があってとてもひどく込んで渋滞してしまって、到着するのが遅れたけど、普通に来れば2時間半ってとこですかね」
「そうですね」
といった具合だ。これはなかなか面白いものがある。漫才の相づちで、ほら、そういうのあるじゃないですか、
「きょうね」
「はいはい、きょう、どうしたんでっか」
「買い物にいきましてん」
「ほう、買い物にいってどないしたんでっか、きみはよく買い物いきますなあ」
「財布を忘れてしもうて」
「財布忘れたらいかんがな、ついでに買うもんわすれてたなんていうてあかんで」
「なんでそれわかるねん」
というようなリズミカルなあの感じ。一度おためしあれ。
ライダー邸で、コーヒーを飲み、昨年末、同じく中部のFCAMPerである、むつごろう氏がつきあげた気合いの入った餅を磯部焼き風に焼き、昨夜から仕込んでいたが結局食べるのを忘れてしまった「おでん」を暖め、チーズパン、カマンベールチーズと一緒に食べながら、ELVISさんをまじえて朝のひとときを過ごす。聞けば、とりけん氏とその彼女は、あの後、すぐに帰っていったらしい。ぼくもELVISさんもとりけん氏よりのことより、マキちゃんの身を心配するのみであった。
「ABCさんとこでウドンができたらしいから、食べにいきましょう」
その合図とともにABCテントに向かう。薪ストーブにかけられた大鍋で作られたうどんがほかほかと湯気を上げている。MIEママが器に分けてくれたのを、そのままいただく。蟹や茸やお肉が入った複雑にして奥の深い味のスープである。
「いつものうどんと違うね」
もう何度もこの朝の恒例うどんを食べているELVISさんが感想を述べる。
「そうでしょ、BASEさんも今日はいつもと違うんだって言ってましたよ」
とMIE氏。
そんなことで、ゆっくりゆっくりと浩庵キャンプ場の朝を楽しみながら、なんだか帰るのがおっくうだねえ、とか、明日仕事に行くのやめようかなあ、などと言いながらすごしていた。
そのうちABC一族が、帰っていった。猫も車のなかだ。ぼくも一人で、もとあったようにひとつづつ道具を車に積み込んでいった。雲が晴れ、富士の姿が湖面に映るようになった。頂にはレンズのような雲が覆いかぶさっていた。空は薄く青みがかって、どことなく不安げにたたずんでいた。
みんなで富士をバックに写真を撮った。
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富士山は写ってなかった
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