□□ 96年4月13日
96年、この年は毎月のようにキャンプに行ってました。
この前の週に、ぼくは厚木オフに参加しています(『厚木オフ総勢100人!』参照)。そこで関東の集客力といいますか、そのメンバー層の厚さに圧倒されつつ、一抹の寂しさを感じておりました。水が違う。ひと言でいえばそんな感じです。そんなとき、町田のテールウォーク家族と愛知のライダー家族とで、静岡裾野市にある『大野路ファミリーキャンプ場』にキャンプにいくことになりました。後に「富士オフ」と銘打ったオフ会の前身となるキャンプであります。
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当時のキャンプ場はどこも混雑しておりました
ぼくらは(写真中央手前)こじんまりと寄り添ってます
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テントも大型のものが当然のことながら主流で、入り口に簀の子を置いたりしてました。そういった、ちょっとした工夫というか、道具をもっと良く使うというか、そんなことが面白かった。あれやこれや、ぼくたちオヤジさん達はそんな話題を肴にしてビールを飲んだものです。
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ぼくんち(左のムーンライト7)とライダーさんち
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ぼくたちにとってキャンプをする楽しみは、道具を使う楽しみ、みたいなところがあります。それは今になってもそう。だから本当の意味で、当時ぼくたちがやっていたのはファミリーキャンプでは無かったと思います。子供そっちのけで自分の楽しみに奔走してました。たぶんぼくはそうだったと思います。それが良いことだったのか、ダメなことだったのか。よく判りません。が、子供は子供で何かを感じてくれていたと思います。
子供たちは子供たちで、いつの間にかかって知ったる仲となり、きゃあきゃあと群をなして遊んでいました。このあとからキャンプ場にミニ四駆のコースが出現したりしていきます。キャンプ場にまで来てミニ四駆でもなかろうと思いますが、あのころの子供にとって、仲間と転げ回れる広場など、もう家の周りには無く、昔ぼくらが家の周りでやっていた遊びを、子供たちはキャンプ場で楽しんでいたように思います。
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仲良くカレーを食べている子供たち
この後、すぐにどこかにとんで行ってしまいます
リビングスペースにはテーブルがたくさん並んでいます
手前にはぼくの作った七輪テーブルがあり、焼き鳥が
焼かれています ビールも飲みかけのようですね
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さて、ぼくたち親といえば、テントだタープだとやたら道具を広げ、青空の下でビールに焼き鳥、ラーメンに焼きそば、なんでも持ってこい状態です。このときは富士山も真っ白で、テントの下を吹き抜ける風はまだ冷たいものの、ほのかに春の匂いがしていました。
キャンプに来て料理をつくるのも楽しみのひとつであります。
いろいろなものを作って仲間に食べてもらう、ということが面白く、段々エスカレートしてまいりますと、3家族それぞれが3家族分の材料を準備する羽目になり、3×3=9の法則の通りとなり、全部で9家族分の料理が並ぶというような、ものすごいことになりました。
キャンプの料理バブル時代です。この時代、けっこう長く続きます。
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トンカツを揚げてる某氏
このトンカツ、本当に美味しかった
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こうして、関東の仲間と中部の仲間が静岡あたりだったら合流できることが判りました。判っちゃったんです。
それで、ぼくらは次のオフ会を計画していきます。
この場所ならば100家族くらい集まっても十分収まる。キャンプ場の親父さんに尋ねてみたら、「予約してくれればいつでもいいよ」というような簡単な返事。
じゃ、やろうか。そんな気持ちで仮予約。とりあえず50家族くらいの規模で。さあ、そのオフ会。一ヶ月後に行うこととなりました。さて、どんなことになるのやら。
朝、富士山が綺麗でした。
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記念撮影 ホントに富士山が綺麗ですね
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